講座3 村山耀一さんと歩く石狩歴史散歩~石碑が語る先人の足跡~
2010/07/23
7月22日(木)講座3村山耀一さんと歩く石狩歴史散歩の第4回「聚富・望来・古潭・厚田地区の碑を訪ねて」が行われました。
前回も雨にたたられましたが、残念ながら今回も小雨模様、しかしそんな天気の中でも、村山さんのいつもながらの丁寧な説明を受けながら楽しく学んだ一日でした。
○聚富(しっぷ)
開拓之碑、伊達邦直主従北海道移住之地碑、シップ開拓場の記碑、聚富神社、開村三拾年記念碑、開村八十年碑、聚富開村百年之碑、聚富小中学校碑
最初に見たのは、伊達邦直主従北海道移住之地碑、本庄睦男の「石狩川」で描かれている仙台藩岩出山の伊達邦直主従の最初の移住地を記念した碑です。また、開村記念碑が30年、80年、100年と3つ並んで建てられているのが珍しく、村の固い結束の象徴のように思えました。
○望来(もうらい)
平和祈念碑、望来神社、望来中学校正門、望来小学校碑
望来は、昭和20年7月15日に米軍機による攻撃を受け、11人(うち7人は児童)の犠牲者が出ました。平和祈念碑は、二度とこのような悲劇を繰り返すことのないようにと願って建立されたものです。
また、望来中学校では、富山県出身の本吉(小島)五市郎が始めた「望来獅子舞」の伝承活動に取り組んでいましたが、平成19年に厚田中学校に統合されたため、現在は厚田中学校の総合学習の一つとして伝承活動が行われているそうです。
○古潭(こたん)
厚田村発祥之地碑、弁財船投錨地碑、龍沢寺、八幡神社、顕彰碑、(古潭小学校)開校百年碑、友愛の郷碑
安政5(1858)年に、古潭に和人が初めて越年するようになってからこの地域での本格的な漁場開拓が始まりました。また、村内押琴の入江は天然の良港で、弁財船が停泊し、運上屋も置かれていたそうです。また、龍沢寺に村山伝兵衛が寄進したという鰐口(仏堂の正面軒先に吊り、鼓面を打って誓願成就を祈念するもの)が、この後お昼の休憩を取った厚田総合センターに展示してあるのが見つかるというハプニングもありました。
○厚田(あつた)
正眼寺、正眼寺佐藤松太郎墓碑、戸田旅館、大講義佐藤辦蔵墓、厚田小学校正門、厚田尋常高等小学校改築記碑、厚田神社、豊漁紀念碑、撃 剣道場直心館之碑、厚田村百年、戸田生家、恋人の聖地、恋人の聖地 句碑群、厚田資料室
厚田では先ず、北海道一の大漁業家だった佐藤松太郎の墓碑を見学、わざわざ本堂を開いて待っていて下さった正眼寺の住職さんから松太郎のお話を聞き、大きな佐藤家の仏壇を見せてもらいました。松太郎の隠居家として建てられた戸田旅館の梁などの立派さも見る事ができました。
その後は、厚田総合センターで昼食。地元の方に依頼したなかなか美味しいお弁当を頂きました。昼食後、古潭のところで書いたように、村山さんの先祖が寄進した鰐口が展示してあるのが見つかり、村山さんも感激されていました。
午後からは、厚田小学校正門や佐藤松太郎から1万300余円の寄付を受けて改築されたことを記念した厚田尋常小学校改築記碑を見学しました。
最後は厚田公園にある戸田生家や厚田村百年、子母澤寛文学碑などを見た後、同公園内の恋人の聖地も見学、今年5月にリニューアルオープンした厚田資料室で、佐藤松太郎、子母澤寛、戸田城聖、吉葉山にまつわる品々を見て帰路につきました。
バスでの帰り道に、車中から望来小学校碑を見て、本日の予定をすべて終了しました。
この講座のように、何回かのシリーズで受講していると、受講生同士すっかり顔見知りになって、講座が終わって別れるのが、少しさびしい気持ちがするのは否めません。
講師の村山さんは最後に、これで石狩歴史散歩は終了するが、もう一度皆さんそれぞれが自分なりに資料を読み直して先人の足跡を思い起こして欲しい、そしてそれを次世代に伝えていきたい、と挨拶され、皆さんから大きな拍手を受けられました。
受講生の皆さんからは、
「村山先生の丁寧で解りやすいお話は、解りやすく聞きやすくとても良かったです、友達に息子に話してやります。次回が楽しみです」「村山先生の熱心な詳しいお話に感激しました」「何回受講しても良い講座なので次回もこのようなカレッジがあれば是非受講したいと思います」「これまで多くの公開講座を受講しましたが、講義とセットで実地巡検が組まれたものはなく、本講座は出色で理解度抜群と思います」「この種の講座には今後も積極的に参加したい」
などと、面白く、勉強になるので、次回も開催を希望する声が多数ありました。