講座5 北海道の稲作史『稲作日本一への軌跡』
2010/08/22
8月21日(土)講座5 《プロフェッサーコース》 北海道の稲作史 『稲作日本一への軌跡』の第2回 「農地・水田にするための泥炭土壌の改良」が石狩市民図書館で行われました。講師は、元北海道中央農業試験場生産システム部部長の稲津 脩さんです。
稲津さんは先ず、北海道の形成というマクロの話から始められました。北海道は、マントルの対流に押されて動くプレートの影響で、日高山系を中心として東西に分かれていた島が一つに接合・隆起して出来上がったものであり、本州とは逆に、大陸側のプレートに太平洋側のプレートが乗り上げているのだそうです。
それから、地質の発達や土壌型の形成と養分流失のメカニズムなどを説明されたあと、いよいよ泥炭のお話です。
北海道で泥炭が集積され始めたのは、3,000年~4,000年前から。
ユーラシヤ大陸では、温度の低いロシヤに多く、日本国内での比率は、北海道が16.9%、宮城20.7%、茨城11.2%、新潟8.5%となっているようです。
道内の支庁別では、釧路、石狩、空知、宗谷の順で多くなっていて、道内での耕地土壌のうち泥炭土は4.5%ということです。
泥炭は、構成している植物により、ミズゴケなどによる地力が一番低い高位泥炭、ワタスゲやハンノキなどよる地力の高い中間泥炭、ヨシなどによる低位泥炭に分けられるようです。
また、泥炭土の理化学的な性質は、PHが低い(酸性)こと、窒素は多いが燐酸、加里が少ないことだそうです。
稲津さんは、泥炭についてのこのような知識を説明されてから、実際の開拓時の苦労話を披露されました。
もともと、開拓で一番簡単なやり方は、笹を焼き払ってから耕起する方法だが、燃料にもする泥炭は火をつけることができないので、先ず笹を刈り払ってから耕起する必要があり、泥炭地を開拓するほど大変なことはないこと。
馬もぬかるほど地盤がゆるいので苦労すること、酸性に侵されて手などもボロボロになることなど実際に稲津さんが農家から聞かれたお話は迫力がありました。
そして、現在成功している農家は4分の1で残りの4分の3の方は泥炭開拓の大変さに離脱してしまったのが現実なのだそうです。
こういう泥炭地開拓の苦労を記録しておく必要があるのだとも話されました。
さてこのように大変な泥炭地を改良するには、大きくは、排水性の向上と客土の二つだそうです。
そして、排水と客土の具体例を説明されたあと、こういう対策を行って泥炭地は改良され今では立派な米がとれるようになったのだが、これからはさらなる新技術の採用などで、北海道の米は、最低から最高になっていく、と結ばれました。
稲津さんの経験に即した親身なお話ぶりには、受講した皆さんも感心されたようで
「私の2代前の先祖は開拓に失敗したのですが、その苦労が、今初めて理解できました」
「土壌が、マントル・岩盤に起因し、出来上がることの原理が理解できました。全体の話の流れが統一されていて非常に理解し易く、内容も充実していました」
「石狩の北生振地区も泥炭地が水田になったので、今では大変おいしいお米が沢山とれるようになっています。今日のお話を聞いてより明確になりました」
「一般の方には、このような泥炭の話を聞く機会はないものが聞けたことは、大変な体験であった。食糧基地北海道ガンバレとさけびたい」
「北海道の形成、ジオパークで勉強したマグマ、プレートの話と関連、そしてそれに伴って形成された北海道の地形、大変おもしろく興味がもてました。泥炭地について成り立ち、構成する植物など、開拓者達のご苦労話し、良い勉強が出来ました」
「土壌改良の話が短すぎて残念でした。質問の時間に興味深い話が出ます」
「専門的な話をきくことができ大変よかった。特に土壌については、プレートの話から始まったのは面白かった」
「泥炭土壌の理解はかなり難しい。やはり苦労した人々がいたからですね。忘れてはならないですね」
などたくさんのコメントが寄せられました。
また、講演後の、石狩の砂地水田について、砂地でどうして水が抜けないのですか、という質問に対して、それは、石狩の砂地は石狩川が運んだものなので、純粋な砂地とは違い粘土分なども含まれているからだ、と答えられたのにも納得させられました。
最後に「講師(稲津さん)から別の角度からのお話を聞く機会があれば幸いです」という要望があったことをご報告しておきます。