「まちの先生企画講座3」『波乱万丈の人生を語る』~紆余曲折の人生から得た生きる力~
2011/01/19
昨年は「いしかり市民カレッジ」に対して、様々なご支援、ご協力を頂きまして大変ありがとうございました。今年も皆さまに、できるだけ正確にできるだけ多くの情報をお伝えしていきたいと思いますので、どうかよろしくお願いいたします。
さて、平成23年の市民カレッジ講座の皮切りとして、「まちの先生企画講座3」『波乱万丈の人生を語る』の第3回「病気を乗り越え、今が青春・・・」が、1月18日(水)石狩市公民館で行われました。講師は、渡辺みつさん、聞き手が高橋美恵子さん、受講者は21名でした。
渡辺さんの波乱に富んだ人生とどんな事も明るく乗り越える生きる力に感動させられた前2回でしたが、最終回の第3回目もまた、そのパワーに圧倒されたのでした。
おまけに、今回は、会場の回りを、渡辺さんが作られた陶器やパーチワークの作品でぐるりと囲った中でのお話でした。
また今日の講座は、花束で始まり、花束で終わる華やかなものになりました。二つの花束は、渡辺さんの生き方に共感を覚えた皆さんの気持ちが現れたものだと思います。
仲間からの花束贈呈の後、お話は、平成7年に脳梗塞で倒れて入院したところから始まりました。
「最初病院では、何か食べたくてしようがありませんでした。隣の人が流動食を与えられているのを見て、大変悲しい思いがしました」
「それとこんな病気になると、元気な人を見ると、無性に悲しくなって泣けてくるのです」
「治療で辛かったのは、高圧タンクに入った時でした。なんだか、閉じ込められてしまうようで、45分の時間が、あんなに長く感じたことはありません」
「リハビリーは頑張りました。四つん這いで這って歩く練習や箸で豆を移す練習、もつれた木綿糸をほぐす練習など一生懸命やりました」
「1カ月くらいで、つかまり歩きができるようになり、トイレにも行けるようになったので、家に帰ってきました」
「家に帰ってすぐの頃です。よせばよかったのに、自分ひとりで近くのスーパーまで買い物に行きました。そうしたら、途中でこわくてこわくて、足が出なくてへたりこんでしまいました。すると、そこへ知り合いが通りかかり、どうしたの?と問いかけてきました。事情を話すと、その人も脳梗塞を患ったことがあると言い、大丈夫だよ、私だって今では札幌の病院まで自転車で通っているんだから、と励ましてくれました」
「もう一人、心筋梗塞を患った友達にも励まされ、頑張って体を動かすように心掛けました」
「その年の冬のことです。バスで病院へ行く時、雪道ですべって手をついた拍子に、手を折ってしまいました。タクシーで自宅近くの外科へ行き、夕方で開院時間も過ぎていたのに治療してもらう事ができました。しかし、その夜は病んで病んで眠ることも出来ませんでした」
「石膏のギブスをはめられたのですが、それを取る時、ノコでビューンと切られるのが、おっかなくてしょうがありませんでした」
「それまで、パッチワークは、自己流でひまひまにやっていたのですが、平成9年に友達に誘われて、陶芸を始めたのです。誘われた手稲の教室はすぐに無くなったので、その後、石狩の教室に通うようになりましたが、南9条から北7条まで歩いて行ったものです」
「パッチワークも自己流では上達しないので、嫁さんに連れられて、教室に通うようになりました。今では札幌や市役所ロビーなど何か所かの展示会にも出品しています」
「それと、私を大きく変えてくれたのは、旅行です。私は、旅行に行くたびに、世の中が広くなり、自分が一回り大きくなるような気がします」
「お遍路さんにも3回行きましたが、お遍路さんは、帰るとまたすぐに行きたくなるのです。西国や関東の33か所めぐりも行きました」
「外国旅行もあちこち行きました。中国の蛾眉山に行った時は、日の出に中国人が歓声をあげているのを見て太陽に感激する気持ちはどこの国の人でも同じなのだな、と感じました」
「ウズベキスタンでは、日本人(慕われていました)のお墓を見たり、二人で一緒に入るトイレを経験したりしました。食べ物は粗末で、お腹を壊したりしましたが、家内工業で製品を作ったりしていて、昔の日本を思い出しました」
「その他、オランダ、ベルギー、ベトナム、カナダ等あちこち行きました」
「今度は、父さんの亡くなった時のことをお話します。父さんは、私に死に方を教えてくれたのだと思っています。父さんのように死ねたらと願っていますが、こればかりは儘なりませんね」
「父さんは、病院へ行きなさいと言っても聞いてくれず、やっと長男が説得して病院へ連れて行った時は、ぼうこうガンが進行していてすでに手遅れでした」
「5月にガンと分かって、翌年平成20年の2月に亡くなりました。元気な時は自分のパンツは自分で洗う人でしたが、闘病中はオムツを換えるのに、何度、母さん母さんと呼ばれたことか、一緒になった63年分まとめて呼ばれたような気がしました」
「父さんは、子供たちや知り合いなどみんなに、顔をなでられ、さすられして、本当に幸せな顔をして亡くなりました。私も、あんな死に方が出来たら、と思っています」
「父さんが亡くなってからの後のことは、私があの世に行った時全部話してあげようと思っています」
「翌年、私は声が出ないようになって、それなら合唱をやればいいよ、と高橋さんに勧められ、合唱団アルバ・コラーレに入りました」
一通りお話が終わったところで、渡辺さんに説明を受けながら、皆で陶器やパーチワークの作品を鑑賞しました。パッチワークの大作の1枚などは、制作に2年ほどもかかったとのことでした。
「私は、父さんが亡くなる前は、あまり人前で話せなかったのです。それがいまでは、けっこうしゃべれるようになりました。旅行のおかげで自分が大きくなったこともあると思います」
「私はこれまで、大変運が良く、行きあう人、行きあう人、良い人に巡り合ったおかげで、助けられてきました。嫌な人にはめったに会ったことがありません」
と話し
「皆さんがやさしくしてくれるので、もっともっと生きていたいのです」と結ばれたのでした。
最後に、パッチワークの先生から二つ目の花束が手渡されて、万雷の拍手の中、講座は終了したのでした。
旅行が自分を大きくしてくれたと、話されましたが、何事も前向きに取り組む渡辺さんだからこそ、大いなる吸収力があるのではないでしょうか。
もうひとつこの講座が成功したのは、聞き手の高橋さんが時々うまく合いの手を入れて、上手に渡辺さんから話題を引き出してくれたことも大きかったようです。
受講者からも
・楽しくお話を聞かせてもらいました。
・とても素晴らしい貴重なお話で大変感動しました。
・みつさんの生き方に感動しました。
・パッチワーク、陶芸、旅行と人生をむだなく楽しんでおられることにとても感動いたしました。これからも幸せな老後を送られるように・・・私も前向きに参考にしたい。
・波乱万丈の人生をのりこえた強さ、素晴らしい。これからの私の人生の目標にしたい。
・どんな苦労の連続でも渡辺さんの人徳で人間に恵まれ、クリア出来たのですね。話術も素晴らしい、感動です。
・和気あいあいとした場でとても楽しく聞くことができました。寒さの折、お元気でお過ごし下さい。
等などのコメントが寄せられ、皆さん、渡辺さんからいっぱい元気をもらったようです。