講座9 『石狩遺跡と縄文文化~石狩市の遺跡と人々の暮らし』
2011/10/06
10月6日(木)講座9 「石狩遺跡と縄文文化」の第3回「 紅葉山49号遺跡と遺物を見る」を行いました。石狩市公民館に集合してバスで紅葉山33号遺跡、紅葉山49号遺跡、いしかり砂丘の風資料館を巡回。講師は、いしかり砂丘の風資料館・学芸員の石橋孝夫さん、参加者は、31名でした。
○石狩市公民館
今日のスケジュール説明の後、石橋さんは前回の質問へ答えることから始められました。
◇49号遺跡の調査は平成16年で終了したのか?
・平成16年度末に調査報告書が刊行されて今回の調査は終了したが、遺跡は防風林の下などにまだ残っている。
◇フゴッペや手宮の様な古代文字は石狩には存在しないのか?
・フゴッペや手宮の岩壁画が続縄文人の手で残されたとすれば、同じような風習は他にもあったと思われる。石狩ではこれまで発見されていないが、シベリアや大陸には残っている。
◇アイヌと他の時代の墓を区別する特徴があるか?
・墓がどの時代のものかは、多くの場合、墓に入れられる副葬品で区別できる。土器があるのは、擦文時代までで、アイヌの墓には、土器はなく、刀やガラス玉、漆器などが見られる。
○紅葉山33号遺跡
ここでは、続縄文時代前半期(2,000年前頃)の墓と飾り弓が出土した。墓では、遺体の頭の方に土器が置いてあり、副葬品から男女の別、当時の人々の世界観が分かる。骨は、酸性のところでは劣化するが歯は残りやすい、骨が残っていればDNA鑑定で詳しい事が分かる。飾り弓については、資料館の展示で詳しく説明する。
○紅葉山49号遺跡
草が生い茂って入れない為、車窓より場所だけ確認した。
○紅葉山49号遺跡~資料館までの車中説明
緑苑台には、平成元年から3年間発掘調査された上花畔1遺跡(約5,500年前)があり、石の錘(石錘)が出土。途中、1回目の講座で話を聞いた志美遺跡の位置を確認しながら資料館へ。
○いしかり砂丘の風資料館
資料館には遺跡の遺物以外にも大変幅広い資料があることを改めて認識しました。
・チョウザメの標本(ダウリアチョウザメ)
・缶詰マシーン(缶詰作り体験が出来る)
・石狩浜への漂流物展示(日本海沿岸には、年間11万トンの漂着物がある)
・クジラの骨(かっては海だった内陸部から出土)
・石狩弁天社と鮫様(鮫様とはチョウザメのこと)
・石狩空襲(昭和20年7月15日、本町、八幡町地区の死亡者13人)
・石狩油田・模型
・アオイガイの展示(アオイガイはタコの仲間)
・川下砂丘B遺跡(浜益区、縄文時代晩期・約2,000年前、完全な壺形土器が出土)
・志美遺跡(土器、アクセサリー)
・上花畔1遺跡(石錘)
・紅葉山49号遺跡
2階展示室には、紅葉山39号、49号遺跡の出土品が展示されている。
舟形容器
色々な木製品
熊の足跡の化石(4,000年前の生痕化石)
魞(えり、前例のない出土品だったので、堀上げに大変苦労)
飾り弓(復元)
その後、隣の旧長野商店を見学しました。
・長野商店
越後出身の長野徳太郎が明治7年に創業。
・店舗(明治27年の建築)と石蔵(明治10年頃の建築か)に分かれている。
920個あまりの札幌軟石が使われて、耐火性の高いものとなっている。瓦屋根や卯建(うだつ)などの伝統様式とアーチ窓などの洋風様式を併せ持つ。平成6年に石狩町の文化財に指定された。
長野商店見学の後公民館に戻りましたが、今日は、この講座の1回目、2回目で学んだ紅葉山33号、49号の遺跡の事を発掘現場と遺物を見ながら再確認し、120年前の明治の頃の石狩も旧長野商店を通して学ぶことが出来ました。
参加者からも
「30年も石狩に住んでいますが、石狩にはとても貴重な物が沢山あり、とても長い歴史もあったんだ、ということが今回よく分かりました。 石橋先生も親切、丁寧に説明して下さり、本当に有意義な一日でした」
「いつも見ている紅葉山33号遺跡について改めて説明を聞くことによって縄文時代に思いを馳せることができた。大変面白い講座であった」
「砂丘の上や元は海の下にあった所を普段から何気なく通っていたが、改めて説明を受け古代のロマンを感じました」
「縄文時代の遺跡の中で、木製品が残されている貴重な遺跡である事がよく理解できた」
「参加者からの質問が活発に出て講師がていねいに答えられ、とても良かった」
「市民カレッジは始めての受講でしたが、講師の先生の熱心さ、円滑な運営で期待以上でした。これからも石狩市をもっとよく知るための講 座に参加したいと考えています。受け身だけでなく、前向きに取り組みたいと思います」
「砂丘の風資料館、長野商店等、石狩の古き良き時代に思いを馳せました」
等の声が寄せられ、皆さん、遠い縄文時代のくらしを想像すると共に、、明治の頃の石狩の栄えを実感されたようです。