講座12 『知られざる北の国境』
2011/11/24
11月21日(月)講座12『知られざる北の国境』の第2回「北方領土問題と日本の課題」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道大学スラブ研究センター教授でロシア外交や中露関係史がご専門の岩下明裕さん、受講者は39名でした。
岩下さんは、著書も数多くあり、2005年に出版された「北方領土問題、4でも0でも、2でもなく(中公新書)」で第6回大仏次郎論壇賞を受賞(2006年)されています。
お話は、とても解決しないだろうと思われていたのに、話し合いで解決してしまった中国とロシアとの国境紛争の紹介で始まりました。
そして、日本の周りでは、対ロシアばかりでなく対中国、対韓国ともお互いに了承した線引きがなされていないのが現状であること、日本の国境は最初から決まっていたわけではないことなどを話されました。
以下は、それに続くお話の概要です。
○北方領土問題で考えるべきことは
・なぜ他の国境(樺太、北千島)は忘れられたのか?(なぜ4島なのか?)
・歴史的な日本:本州、四国、九州のみである
・地理的日本は:「固有の領土」などない
などである。
○国境問題は、北だけではなく、南とのバランスで起こっていることも考える必要があること(北方領土と沖縄:ソ連と米国)
1955年、訓令16号「4島を要求しない」→米国の忘却(奄美1953年、小笠原1968年返還)
米国は沖縄を返したが基地を残し、ソ連はそのまま居座り続けた
○太平洋戦争の終戦は、日本では8月15日とされるが、世界の認識は降伏文書調印の9月2日であり、その事を理解して話をしないとアメリカやイギリスへの説得力はないこと
○北方領土問題の経過
・1945年、日本は降伏文書に調印、千島、樺太はソ連の占領地区とされた
・1951年、サンフランシスコ平和条約の調印で日本は樺太と千島(範囲があいまい、択捉を含む?)を放棄、但しソ連は調印しなかった
・1956年、日ソ共同宣言―ソ連は平和条約締結を条件とした歯舞群島、色丹島の返還で交渉→日本は国後、択捉についての継続協議を要求して決裂
・1992年、ロシア側最大譲歩―「2島返還+2島継続交渉」
・1998年、日本側最大譲歩―川奈提案「ロシアが4島を日本領と認めれば返還はいつでもよく不法占拠という言葉も使わない」
以上のように歩み寄った時期もありながら、結局は前進していない北方領土問題は、「不法占拠・固有の領土」と主張する日本と「戦争の結果・太古の領土」と主張するロシアの対立のままである
それに対して
○「歯舞先行返還」ではだめなのか?
「2島返還」の+αをめぐる行き詰まりがある
○揺るぎない北海道としての歯舞群島
歯舞群島は、歴史的地理的に根室の一部であり、しかも「9月5日」に占領された
○「固有の領土」論では世界に通じない
「固有の領土」という英語の表現はない。昔からの日本の領土、という意味ではない。外務省の定義は、一度も外国のものになっていない領土。
次に、海上の国境についてもお話がありました。
○島国の日本はもともと境界意識が薄い
○昔は陸が紛争地であったが、陸が安定してきて海の資源を巡っての争いが起こってきた
○島(陸地)の面積だけを考えるのではなく島に属する海域(排他的経済水域)も含めた境界を考えるべきではないか
○海に線は引けないので、共有した方が良いのではないか
また、国境問題解決の道筋としては
○世界に説明できる議論を行う
○主張はして、反面現実的な対応を取る
ことが必要である。
さらに、国境問題に対するBRIT(世界の国境問題を比較研究することを目的として立ち上げられたプロジェクト)とJIBSNの取り組みについての紹介があり、根室管内については、北方領土に向けたショーウインドーと位置付けて、1市4町のイニシアティブで設置する国際特区と3つの北方特区を設けて発展させる提案もされました。
岩下さんは最後に、北方領土問題が解決しないからといってロシアとの付き合いを避けるのは得策ではなく、地理的に見てもロシアはパートナーとして良い相手であり、お互いに利益のある関係を作り上げていくべきで、そういう関係を築いていくうちに、また領土問題を解決出来るような機会が訪れるかもしれない、と結ばれました。