講座11 『藤村久和さんと学ぶ~北海道開拓とアイヌの人々』
2011/12/11
12月8日(木)講座11『藤村久和さんと学ぶ~北海道開拓とアイヌの人々』の第3回「アイヌの伝統文化の現状」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海学園大学名誉教授の藤村久和さん、受講者は30名でした。
藤村さんは、先ず、伝統文化がどのように考えられてきたのか、ということから話を始められました。
従来、伝統文化とは、これまでに伝わってきた着物や美術工芸品などの有形な物に結び付けて考えられてきたが、昭和50年頃からその概念が少し枠を広げて考えられるようになった。
無形の物も伝統と云えるのではないか、能や歌舞伎といった一部の人しか携わらないもの以外の、暮らしに密着した、盆踊りやお正月の風習などもまた伝統文化ではないかと云われるようになった。
形として残らないもの、例えば、言葉や社会規律(躾、作法、礼儀)、対人関係(もてなし、仕草)、味付けあるいは色の感覚など所謂感性と云われるものも伝統文化ではないか。
今では、そのような無形の物の一部と有形の物が伝統文化と呼ばれている。
アイヌの伝統文化伝承について、行事を行う為の衣服の復元が行われる場合を考えてみると、元々は手作りで時間をかけてなめしたり染めたりした自然の繊維で編んだ布で作っていたのが今は売っている繊維を利用して作るので味が無くなっている。
数値化もされて形を復元するのは容易になっているが、肝心の材料が外国産の物を使っているような場合もあって、暮らしの中にあったものからはずれて、形だけを追い求めるようになっている。実際には使えないものとなっている。
この様にアイヌの伝統文化の伝承は、曲がり角にきている。
形だけになった儀式をどのようにして元に戻していくか、が問われている。
元に戻す為には、まだ心の中に残っている感性を呼び起こして、先ず、材料から手作りでやってみる必要があるのではないか。
感性の集大成が儀式ではないのか。
また、物は使うためにある。アイヌの古老に、展示品の制作を依頼すると、必ず誰が使うものなのか、と聞かれ、それが分からないと作ってくれない。このことによっても、物は使う人に合わせる心配りをして作るもので、使う人の事が一番大事だ、ということが分かる。
即ち、物を作る時は、使う事を考えて作らなければならない。
このように大事な感性であるが、古い言葉使いや感性に関わる習慣などは失われてしまうと、元に戻すことはむずかしい。
そんな中で出来ることは、個々の人がこれまでの言葉や習慣などを書き留めておくことが必要で、それが伝統文化の基礎的な資料となる。
また、アイヌの伝統文化の継承については、これまでややもすると閉鎖的な中で行われてきたが、今は周辺の人達も参加出来るようになってきた。
儀式は一人では出来ない!多くの人が関わって行うのが伝統である。
伝統文化を維持していくには、集団をつくることが大事である。
この度の3月11日の大震災で、世界の人が、こんな状況でどうして暴動が起きないのか、と不思議がったように、日本には他の国にない"耐える精神"がある。
大災害は昔からあって、アイヌには、キラコタン(逃げる村)キラウシ(逃げる場所)と云う避難所があり、代々伝えられてきた。
このような生活の知恵を絶やさないようにしなければならない。
これから後の人達の為に、これまで培ってきた感性を残しておかなければならない。
その為には、自分の記憶を記録しておく必要がある。
以上が、伝統文化についての、藤村さんの実生活に根差したお話でした。
受講者からも
「伝統文化の基本的な考えを学びましたが、これはアイヌ文化だけでなく現在の日本人自身もその継承が崩れてきています、心配りのない形だけの継承になっています」
「第3回の話は、日本人あるいは人として重要なことであると考えました。ただ、アイヌの人々がそれ(伝統文化)にどう関わっていたのか、あまりはっきりしないように感じました」
「自然を相手に暮らすアイヌ文化の素晴らしさ(衰退が悲しい、惜しい)、人間の知恵が発達していった経過が分かり感銘した。代々伝わって来た生活と人間性を我々も学ぶ必要があるか。文化の継承も問題がたくさんあり大変だと思う」
等などのコメントが寄せられました。