講座15 『石狩川Ⅱ~北の大地の母なる大河』
2012/02/12
2月9日(木)講座15『石狩川Ⅱ~北の大地の母なる大河』の第2回「石狩川の船運~内陸開拓の大動脈」を石狩市民図書館で行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長の村山燿一さん、受講者は44名でした。
村山さんはまず、船運について充分なお話をしようとすると、その背景からお話ししないと意が通じませんので、どうしてもお話の範囲が広くなりますが、できるだけコンパクトにまとめて説明したい思います、と前置きして話を始められました。
1.蛇行の多かった石狩川
石狩川はアイヌ語で「イシカラペッ(回流する川の意)」と云うように蛇行の多い、頻繁に洪水が起こる川だった。(現在は、蛇行部分のショートカット工事により従来の364㎞が約100㎞短縮されている)
2.丸木舟の時代
1)約4,000年前の紅葉山49号遺跡から丸木舟の一部が出土したことから、当時すでに舟が利用されていた事が分かる。
2)アイヌの舟
・「チプ」(巨木の幹をくりぬいて作った丸木舟、長さ5~7間、幅2尺5寸)移動手段、物資の運搬
・「ヤラチプ」(一時的に使用した木の皮で作った舟)狩猟で得たヒグマなどの運搬に使用
・「イタオマチプ(板綴舟=縄綴舟)」(丸木舟の周囲に板を縄で綴って付けた舟、蝦夷船とも言う)14m内外で筵帆と櫂(車櫂)で動かす、この船を用いて樺太、沿海州方面、東北、若狭、九州、瀬戸内海方面まで航海して交易を行った。
3)江戸時代の石狩川運行
・村山家文書、西蝦夷地廻浦見取絵図、松浦武四郎「石狩日誌」などの記述から当時の石狩川運行の様子が分かる。カムイコタンは岩が多く流れが速いので運行できずそこだけは陸路を移動した。
・快風丸の記述
アイヌは川端に住み、両岸は木が茂って往来できず舟で行き来している。
3.開拓の幹線路としての石狩
1)早山(ソウヤマ)清太郎の渡船
篠路の開拓民は最初丸木舟で川を移動していたが、明治4年、名主早山清太郎は開拓使の命により小舟2艘で篠路~石狩間の人、物資の運搬を行った。
2)開拓使の汽船導入(石狩川汽船航行の始まり)
明治4年、辛未丸(しんみまる、英国船)スクーネル型(マストが2本ある船)汽船。翌5年には、安渡丸(帆船)、石明丸(汽船)導入。
この頃の石狩川は自然のままで、氾濫、川床変化、流木堆積などがしばしば汽船の運航を妨げた。
3)樺戸集治監の設置と船運
明治14年、樺戸集治監開設されて、囚人と生活物資を運ぶ必要性が生じた。
当初、丸木舟で、次いで淀川舟、木製スクネールで輸送していたが、明治17年に石狩川で初めての外輪船が導入された。
4)石狩川船運会社の移り変わり
石狩川の船運は、明治10年代半ばから民間業者により運営されたが、経営は安定せず長続きする会社はなかった。
5)上川丸
石狩川で大活躍した外輪式の鉄製蒸気船。江別~月形間(約43㎞)を遡り9時間、下り3~4時間で運航。長さ25m、幅6.2m、24.2馬力、定員60人。船底は平らで、水深1m前後の所でも航行できた。
6)命令航路
明治30年頃になっても北海道の道路は整備されず石狩川航路は重要であったが、民間会社の運営は厳しかったので、道庁は命令航路(国が補助金を交付して運航者、運航区間、寄港地、運航回数、使用船舶を指定し、運営は民間に委託)を指定した。
石狩川の指定は、「石狩~江別」「江別~月形」「月形~札的内」の3航路で明治35年から運航が開始された。
7)石狩川流域での鉄道の開通による船運の衰退
石狩川右岸側―明治13年・手宮~札幌、明治15年・札幌~幌内(幌内鉄道、これは全国で3番目)
左岸側―昭和6年・石狩沼田~中徳富(新十津川)、昭和10年・当別~浦臼(札沼線全線開通・・上川丸廃船となり石狩川船運終結)
8)船運と鉄道が交わる物流基地「江別」
江別は、石狩川の航路と鉄道が交わる場所で、江別港(現在の新江別橋あたり)から江別駅までの通りは、船で運ばれてきた農産物や木材の集まる場所として賑わっていた。
9)石狩川の渡し船
平成23年に美浦大橋が開通して、最後まで運航していた「美浦渡船場(晩生内~美唄・中村)」が廃止され、石狩川渡船の96年の歴史に幕が下ろされた。
10)石狩~江別間の石狩川利用による遊覧
明治43年上川丸を使用して実施。石狩川実業団青年会と小樽実業団青年会の交流会。
お話の概要は以上ですが、資料も豊富で、わかりやすい村山さんのお話を聞いて、4,000年前から上川丸が廃船となった昭和10年までの石狩川船運の歴史が良く分かりました。
受講生からも
「石狩川が北海道の産業の発展に大切な役割を果たしたこと、北海道の運輸の要であったことが良くわかった」
「明治時代において石狩川が物資輸送で繁栄した歴史がわかりやすく説明され大変勉強になりました。また、詳しい資料(年表)の提示には大変ご苦労が感じられました。村山先生の講座に感謝致します、次の講座に期待します」
「今回はお話もさることながら、膨大で詳細な資料は大変貴重で興味深いものでした。ご準備頂いた村山さんにお礼を申し上げます」
「村山先生のお話をもっとお伺いしたかったです。恐らく話足りない部分もあるかと思いますので、ぜひまた次回を期待します。鉄道も興味深かったです。もう少し詳しくお聞きしたいです」
など等のコメントが寄せられました。