6月14日(木)講座3 村山耀一さんと歩く「石狩歴史散歩~石碑が語る先人の足跡」の第1回「泥炭地と闘った北生振地区の碑と高岡地区を訪ねて」を行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長 村山耀一さん、受講者は38人でした。
村山さんの案内で石狩の石碑を訪ねる講座は、昨年も行いましたが、今回は水をテーマにした巡回です。
まず、訪れたのは、北生振にある国営かんがい排水事業の揚水機場といしかり調整池ですが、こちらは土地改良区の方に案内して頂きました。
○開田水魂碑(国営かんがい排水事業いしかり地区竣工記念碑)
石狩川の水を用水とする北生振地区の水田は、たびたび塩水の遡上に苦しめられたが、平成19年に国営かんがい排水事業いしかり地区の完成により安定した農業を営むことができるようになった。
○北生振揚水機場
3台の揚水機、受益面積889.3ha
○いしかり調整池
貯水総量:500千立法m、海水が混入しない時の水を貯めておき、塩水が上がってきたら川からの送水を止め、この調整池の水を送水する仕組み。
調整池を見た後は、10線にある開拓記念碑を車中から見て8線地区の碑を訪ねました。
○生北神社―創立明治37年
○開田之碑―建立昭和40年
昭和23年に54町歩を開田し、畑作酪農経営から転換したことを記念。
○水屋記念碑
平成14年建立、褐色で鉄分の多いカナケ水と闘った開拓時代の苦労を記念。
○佐々木トメ老婆記念碑
生振・八幡地区で産婆として活躍した佐々木トメを偲ぶ。この碑は地域で「子育て観音」と呼ばれる。建立時(明治44年)か大正初期頃から毎年3月に女性の祭りである「観音講の祭り」が催されている。
○牛頭馬頭記念碑
馬は開拓時代から開墾の手助けをしており、酪農経営が始まった大正時代からは牛を飼う農家も多かった。
○地神塔(じがみとう)
五角形でそれぞれの面に五神が刻まれている。
○正一位稲荷大明神
キツネが咥えているのは、宝珠。
次に8線から移動して9線へ。
○豊饒無窮・碑
昭和41年建立、北海道知事 町村金吾書
脇の沿革碑は、故飯尾町長が企画した砂地造田の完工(昭和30年)20周年を記念して昭和50年に建立された。
生振の巡回を終えて高岡へ移動。
○光明寺(浄土真宗本願寺派、車中より)
昭和18年、二代目坊守西井リャウは「日曜学校」を開設し、農繁期の門徒や地域の人々にとって安心して子供を預けられる場所となった。
昭和38年には、本堂を開放して季節保育所が開設された。
○馬頭観世音・地蔵尊
○開拓30年碑
○高岡開基百年(昭和59年建立)
高岡は、明治18年に山口県からの移住者により拓かれ、石狩町水田発祥の地でもある。石狩で一番大きな石碑。
○石狩町立高岡小学校・石狩郡石狩町立高岡中学校旧校門
○高岡小中学校開(閉)校記念碑
明治32年、石狩尋常小学校高岡分教場として開校、昭和55年高岡中学校閉校。
○高岡神社
明治22年建立。
○「道究」の碑
平成元年建立。
五の沢へ向かう途中地蔵沢の碑を観察。
○地蔵沢の碑(地蔵尊と馬頭観世音)
その後五の沢への途中、増田家と云う農家の横を通り過ぎましたが、この家は自分の土地だけを通って当別へ行く事が出来たほど大きな地主であったそうです。
五の沢の碑。
○開校65周年(五の沢小学校)
五の沢小学校の校舎は、旧来札尋常小学校(明治37年に樺太アイヌの児童のために立てられたが、明治39年に樺太アイヌが樺太へ帰ったために使われていなかった)の建物を移築したもの。
○地神塔
北生振の地神塔と同じ五角形だが、祭神名が若干違っている。このような地神塔は、徳島や香川に多い。
○馬頭観世音
○牛魂碑
北海道知事 町村金吾書 昭和39年建立。
○五の沢神社
最後に、高富貯水池を見学して今回の碑巡回を終えました。
本日の巡回で、カナケ水と闘った開拓時代から貯水池や調整池に守られて安定した農業を営むことが出来るようになった今日までの水と人との関係が良く分かりました。また、産婆さんの碑やお稲荷さん、地神塔、地蔵尊などから、往時の人々の生活や信仰について学ぶことが出来ました。
さらに、馬頭観音碑が多いことで、開墾には馬の働きがいかに大事だったかを知りました。
次回は、6月28日(木)花畔・銭函運河を辿ります。