11月1日は今年初めて法制化された「古典の日」です。この記念日に当たる11月1日(木)に講座10『藤村久和さんと学ぶ~文献読み取りによる北海道開拓~』の第2回「少し長い古文書の解読」を行いました。講師は北海学園大学名誉教授の藤村久和さん、受講者は35名でした。
※古文書の画像がやや小さく読みにくいですが、画像をクリックするとひとまわり大きくなって読みやすくなります。
第1回は、古文書を解読するための基礎的事項の講義と読みやすい古文書の解読練習を行いました。今回は少し長めの四つの古文書について、解読とそれらに関連するお話しをしていただきました。まず、前回述べられた「最初読めない文字でも一度判読できれば次は容易に読めるようになる」を再度話され、今回の古文書でいえば約3分の2の文字が前回の<古文書1>および<古文書2>で既に出てきた文字であることを述べられました。確かに、今回の受講では目にした文字が多く、かなり読みやすく感じました。
最初に、村山家文書の<古文書3>(第1回の講座で使用した文書に続けて通し番号を付けています)についてホワイトボードを使って解読結果についての説明があり、その後全員で声を出して文書を読み上げました。<古文書3>で2行目後半にある「志や津ほろ」とあるのは「札幌」のこと、4行目下から4番目の文字は「廿」で「二十」です。ちなみ「三十」はこの時代「丗」と書き、漢字の「十」を横に三つ並べて「丗」、二つ並べて書くと「廿」となるとのことでした。なるほどと感心しました。<古文書3>は明和二乙酉年(1765年)札幌で運上金を扱っている業者南條安右衛文から村山傳兵衛宛に出された證文(証文)です。
<古文書4>は「秋味雇土人約定證文之事」、イシカリ場所での鮭漁において労働人口が不足するため伊達の有珠から土人男子15人を雇い入れる時に交わされた証文です。中山峠を通って石狩まで来た土人一人当たりに2両、合計で30両支払われたようです。15~16行目には箱館の場所請負人である「和賀屋 宇兵衛」、17~18行目に「ウス支配人 同 富右衛門」と書かれており、「宇兵衛」の下の印の中にある右側の文字は「松前」、左側の文字は「箱館」と読める、とのことでした。
次に、2頁の<古文書5>についても解読を行いました。これは安永五年丙申(1776年;22行目)に村山傳兵衛と村山伊兵衛から下国(24行目には「下」と記載)上野清良右衛門宛に出された「御場所定證文(証文)之事」です。2~3行目に書かれているように、戊ノ年(1778年)から辰年(1784年)までの7年間の「ましけ場所」における運上の取り決めです。例えば、4~6行目には海鼠挽(ナマコのつぶしたもの;中国への輸出用とのこと)が1年で礼金小判25両、鱒は45両、運上金は140両、合計小判310両と定めています。また、支払いで小判などを持ち歩かなくて済むように両替制度があり、1両につき5貫40文(11行目)の差額を払うことになっているとのことでした。また、興味深いことは、蝦夷の人間を大切に扱うことが12行目に記載されていることです。これは松前藩の意向を汲んで福祉的な要素が勘案された結果だろうとの説明でした。
最後に、22頁の長い古文書の1頁目についても解読しましたが、時間の都合上大部分は次回に行うとのことで、今回の講座は終了しました。
受講者の皆さんは今回も大変楽しく、生き生きと学んでいました。