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講座10 『藤村久和さんと学ぶ~文献読み取りによる北海道開拓~』

第3回 「少し長い古文書の解読②」

2012/11/28

 11月22日(木)講座10『藤村久和さんと学ぶ~文献読み取りによる北海道開拓』の第3回「少し長い古文書の解読②」を学び交流センターで行いました。講師は、北海学園大学名誉教授の藤村久和さん、受講者は38名でした。

 藤村さんは、受講者に分かりやすく解説するために、前回同様講座が始まる90分以上前から来場されて、黒板5枚にびっしりと今日学ぶ古文書の活字印刷版を書き写されました。
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 さて、今日挑戦する"場所請負人履歴"についての資料6は、前回1頁だけ読み終えましたが、全部で22頁にわたる大変長い文書です。

 受付に訪れた受講者の多くは、「いやあ、難しいです、さっぱり分かりません」などと自信なさげでしたが、いざ講義が始まると、藤村さんが解説される黒板と手元の資料を交互に見ながら熱心に学ばれていました。
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 講義の仕方は、前回と同じように、まず黒板に書かれた資料を藤村さんの解説に従って読んでいき、数行進んだところで、あらためてみんなでその部分を声に出して読み上げてから次に進む、と云うやりかたです。そして、要所要所で、用語の解説や時代背景などを説明されました。
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 今回は、2頁の初めから読み始めました。原文と活字印刷版をご参考にして下さい。
 
2頁
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 数か所を請け負って自家船数艘で運送を行ってきた。その後、引き続いて蝦夷地の請負を行ったので、左にその仔細を記す。
寛延3(1750、午)年から寶暦5(1755、亥)年頃までは西蝦夷地ソウヤを請け負った。当時の産物は、干鱈、魚油、安津志(反物)だけで海鼠(なまこ)引漁は行われていなかった。海鼠は3本ヤスを使って獲っていて漁も大変すくなかったので、煎海鼠(いりこ)漁を心得た者を派遣してアイヌへ教えたところ、だんだん習得して漁獲量も増えた。
その頃は、夏船は一度だけの出航で、往復はしなかった。番船(警備船)と称する図合船(30~100石積みの船)のような120~130石くらいの小舟で3月末から4月上旬に現地へ赴いた。当時は、まだモンヘツ、シャリ、カラフトはいずれも開発されていなかった。シラヌシの乙名シャウテカニと云うアイヌが図合船くらいの蝦夷船二艘でサンタン地ほか十徳、

3頁
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 青玉(中近東産)、魚油、干鱈、あざらし皮などを積んでソウヤで交易を行った。ソウヤ近辺のアイヌもカラフト島に渡り同様な品を交易していた。軽物(熊胆、青玉など軽くて高価なもの)については、御領主の命でソウヤへ派遣された2名の役人が適時買い上げた。
安永の頃まで60年ほどはそんな様子であったが、それ以前はどのようだったかは分からない。傳兵衛がルルモッヘ、ソウヤを請け負っていた頃、松前家中の加藤嘉兵衛が濱屋与三右衛門の船・栄福丸(400石積み)に乗りシラヌシへ渡り右に記述した品々を交易して戻ったが、シラヌシより東西奥には入らなかったとのこと。宝暦5(亥)年、傳兵衛の請負年季が終わり、翌年より宝暦10(辰)年の頃まで濱屋与三右衛門、天満屋専右衛門、材木屋七郎右衛門

4頁
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 右三人に請負を申しつけられた。宝暦11(巳)年から安永3(1774、午)年の頃までおおよそ13年は松前家の直営になった。その後、安永4(未)年頃より天明2(1782、寅)年までは、又傳兵衛がソウヤを請負った。その頃は、鯡、鱒、鮭漁をアイヌに教えたので、シャリ、モンヘツもようやく開けて来て、居小屋(いごや、宿泊所)や番屋などを便利の良い所に建てた。
明和8(1771、辰)年、漁業視察のためカラフト島へ家中の内侍(警備役)3人を派遣するよう領主の命があった。冬季間であったが、私共(村山家)で二百石積ほどの船二艘を誂えた。これについては、船の名前まで指図があった。翌年、通詞(通訳)番人、働き手、数十人と侍一同は、アイヌへの交易品を積みこみ4月中旬に出帆し9月下旬に戻った。その折は、漁場を視察し、アイヌへも申し聞かせたので、

5頁
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 漁もうまく運んだ。寛政2(1790、戌)年、私共へ請負を申しつけられたので、やり繰りをしてようやく船を仕立てたが、アイヌも精出して稼いでくれたので、生産物も増加した。
それ以前天明3(1783、卯)年より飛騨屋久兵衛へ請負を申しつけられた。飛騨屋の請負中、カラフト視察のため松前家中の新井田龍介と云う方が来られ、70~80石くらいの船二艘を仕立てアイヌへの交易品を用意するよう申しつけられて船に積みこんだが、どこまで行かれたのかは聞かされなかった。
寛政元(酉)年、東蝦夷地のノツカマフ、ニシベツ、クナシリ島でアイヌ達の争いがおこり、久兵衛の雇い人が殺害された。この影響で、西蝦夷地のソウヤあたりまでアイヌの動揺があったため、同年9月に、傳兵衛が管理するよう命じられ、辞退をしたが、

6頁
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 重ねて申しつけられたので、止むなく承知した。しかし、もはや秋になり、船を仕立てることも出来なかったので、傳兵衛が請負っているイシカリ、アツタ、ヲタルナイ、マシケの支配人や番人と大勢のアイヌを乗せ、アイヌへの交易品をソウヤまで輸送した。
2~3年は、ご領主の直支配であった。

 ここまで読んだところで、時間切れとなり、資料6については6頁の半ばで終了しました。

 古文書を読むのはなかなか難しいですが、1回目より2回目、2回目より3回目と少しづつ慣れて来たので、次の機会があれば、今回よりは取り組みやすいのではないかと思われます。

 なお、この講座に関連する村山家の履歴一覧を村山耀一氏が提供して下さったので、補足資料として貼付いたしますが、画像では小さく読みにくいと思われますので、PDFファイルも併せて貼付しておきます(赤字の部分が、今回読んだ古文書内容に関するものです)。
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 村山家沿革年表.pdf

 また、受講者からは

「講師がていねいに教えて下さるので大分読めるようになりましたが、時間が足りなく、もっと時間を長くするか、回数を増やして欲しかった。来年にも期待します。」

「古文書の読み取りは難しく、専門の書役の文でしょうが読む方も大変だったと思いました。私には全然読めませんでした、解説ありがとうございました。」

「藤村教授の講師としての熱意が講義開始から終わるまで伝わり、受講者達は古文をひもとくのに、ついていくのが精一杯のようだ、ありがとうございました。」

「内容の多さで講座コマ数が少なく、この内容は消化出来なかった、しかし古文書にふれる"きっかけ"を与えてくれたと思います。」

「古文書は、ようやく入口に入っておもしろくなってきたのにここで終わってしまうのが残念です。又、講座を計画してください。」

「初心者にも理解出来るようにとても丁寧に教えていただきとても楽しかったです。古文書が身近に感じられるようになりました。」

等などの声が寄せられ、もう少しじっくり勉強したかったと思われた方が多かったようです。

 
 



 

 




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