12月15日(土)講座9『石狩川に棲息する魚介類と漁業の移り変わり』の第2回「石狩川の漁業の移り変わり」を"りんくる"で行いました。講師は、札幌市豊平川さけ科学館学芸員の有賀 望さん、受講者は29名でした。
有賀さんは、先ず、所属されている札幌市豊平川さけ科学館を紹介されました。
◆札幌市豊平川さけ科学館
・豊平川にサケを呼び戻そうという市民運動を受けて出来た施設で、サケのふ化と併せて水辺の教育普及を行っている。
そして、サケについてのお話から始められました。
◆サケのお話
・石狩川はサケの川
昔からの言い伝え―「石狩川へ産卵のために遡上するサケの群れがあまりに多く、棒を投げ入れても倒れないでそのまま立っていた」
・サケの種類
①サケ(シロザケ)②サクラマス(ヤマメ)③カラフトマス
・サケの一生
サケは、川で生まれ、海へ出て大きくなり、おとなになると卵を産むために生まれた川へ帰ってくる。
・石狩川のサケの分布
サケについての説明の後は、サケ漁についてのお話に入りました。
◆サケ漁の移り変わり
・4000年前 石狩では、すでにサケを獲っていた。
また、北海道大学構内からは、1100年前の捕獲施設や道具(川をふさぐテシや木製ヤス、棍棒など)も見つかっている。
・1600年~1800年頃 「イシカリ場所」での交易
「イシカリ場所」と呼ばれる、アイヌと和人との交易の場が、石狩川沿いに分布。
アイヌが捕獲した干し鮭、鱒、熊の皮などと、松前藩が持ってくる米、酒、煙草、古着などが交換されていた。1800年代後半、請負人制度が廃止され、新たな漁業権が許可されて、川でのサケ漁獲量が倍増した。琴似川、発寒川、豊平川は自然産卵のための種川として保護された。
・1868年~1883(明治16)年 サケ漁の黄金期
石狩川でのサケ漁は平均107万尾、最大194万尾(1879年)で、北海道の総漁獲高の1/3を占めた。石狩川の漁法は地引き網で、和人が主導権を握り、漁期中は数千人の漁夫が集まり、料亭や飲食店が栄えた。
・1877(明治10)年 日本最初の缶詰工場
石狩缶詰所が出来た。
・1884(明治17)年~ サケ漁の衰退
乱獲や上流の開発で遡上数が激減。石狩川は、上流に千歳川等のふ化場を持つ保護河川のため資源保護の理由で川での漁が禁止された。
・1888(明治21)年 千歳川にふ化場が建設された
・1928(昭和3)年~1955(昭和30)年 刺し網、流し網の認可
石狩川では、地引網漁だけが許可されていたため密漁が横行。現実とそぐわない漁業法が改正され、北海道で唯一、川での刺し網、流し網漁が許可された。
・1932(昭和7)年 北洋漁業解禁
北千島でのサケ、マス流し網漁。
・1932年~1944(昭和19)年 北洋漁業
北洋漁業は、5月~7月に過酷な漁。捕獲したサケは、幌筵島(ぱらむしるとう)の缶詰工場に売却。戦後再開したが、米ソによる200カイリ規制で中止となる。
・1951(昭和26)~1963(昭和38)年 石狩のさけますふ化場
1951年の水産資源保護法(増殖を伴わない河川漁業は認めない)への対応で、石狩町にもさけますふ化場が作られたが、500万粒目標のところ、1951年200万粒(網走産)、1955年10万粒と振るわなかった。これは、川の汚染で親魚の確保が困難だったため。1963年に石狩事業所は廃止。
・1956(昭和31)年~ 石狩さけまつり実施
1954年の大漁以外はサケ不漁が続いて、活気が失われた町の回復をはかるため町議会議員がさけまつり開催を提案した。その後、親魚不足で1970年に一時中断したが、1979(昭和54)年再開。
◆サケにまつわる話題
・石狩の伝統漁法「地引き網漁」
河川で漁業としてサケマスの捕獲が認められているのは石狩川のみ。サケ不漁で1970(昭和45)年に一度中止される。歴史・文化伝承事業として、2002(平成14)年に再開。石狩さけまつりで継続されている。
・サケ皮の防寒靴
「ケリ」―アイヌが使用していたサケ皮の靴。
欠点は、火に弱く、猫に食べられること。
◆千歳川のサケのふ化事業の歴史
・1888(明治21)年、千歳川上流で、本格的なサケのふ化事業が始まる。
・1896(明治29)年、千歳川で初めてインディアン水車が使用された。
・技術や経済的事情により軌道に乗らず、日本のサケの低迷期は80年続く。
・1970(昭和45)年以降、技術の転換により回帰するサケが増加(今年の千歳川の遡上数は約40万尾以上)。
・3~29%が野生魚。12月捕獲されたサケは77%が野生魚。
・今後は、自然産卵を組み込んだサケ管理方策を検討。
◆厚田川、浜益川のふ化放流事業
・1994(平成6)年までは、親ザケの捕獲と稚魚放流を実施。
・1995年からは、放流のみ。厚田川200万粒、浜益川300万粒。
◆石狩の内水面漁業
・石狩川内水面漁業(河川や湖沼などで行われる漁業)の漁獲量74t、漁獲高3,300万(石狩市の海水面漁業は、漁獲量2921t、漁獲高12.4億)
・石狩湾漁協の漁業者構成(内水面のみのデータなし)
2009年の総漁業者数146名(5年前より13名減)、同年の総漁船隻数366隻(5年前より16隻減)専業は変動していないが、兼業が減少傾向。
・石狩川で内水面漁業権を持つ団体は、石狩湾漁協組合と江別漁協組合。
・石狩川内水面漁業対象魚
ワカサギ、カワヤツメ、スジエビ、モクズガニ、ヤマトシジミだが、漁獲高の90%以上が、ワカサギとカワヤツメ。
◆ワカサギ漁
・ワカサギの種類―ワカサギとイシカリワカサギ。うきぶくろと気道の接続場所に違いがある。
ワカサギ―春に海から遡上して産卵するタイプと秋に遡上して湖で越冬し、春に流入河川で産卵するタイプがある。
イシカリワカサギ―降海しない。古くから漁師の間でヒメジと呼ばれていた。日本では、北海道の限られた湖沼のみ生息。準絶滅危惧種。
・ワカサギ漁
昭和初期から佃煮の原料としてわずかに漁獲。1960(昭和35)年に網走 湖より種卵を移植し漁獲量が増加。1997(平成9)年には、200t以上の魚獲。
漁場は、石狩川本流と茨戸川。漁期は、産卵遡上期の5月。漁法は、ウライ(小型定置網)。
増殖事業は、1968(昭和43)年から継続。近年は、網走湖から2億粒を移入して放流。
◆カワヤツメ漁
・カワヤツメとは
川で生まれ、幼生の間は川底の泥の中で有機物を食べて数年過ごす。成長すると変態し(目が現れる)、降海する。2~3年で成熟すると川に遡上、産卵して死亡する。
・カワヤツメの利用
ビタミンAやB2が多く、健康食品や薬品として利用。
・カワヤツメ漁
1887(明治20)年頃から石狩川で始まる。1913(大正2)年新潟県から取り寄せた「ヤツメ笯(ど)」を使った漁が始まった。「どう」はイネ科のカヤを編んだもの。その他、網どう、や定置網(1993年~)もある。
・カワヤツメ漁の漁獲高
1986(昭和61)年をピークにその後は急激に減少。
・減少要因
河川の遡上障害、幼生の生息場所の喪失、産卵環境の変化などによる。関係漁協、研究機関、行政などが集まって、河川環境調査や増殖技術の開発を行っているが、資源回復の目途はまだ立っていない。
◆ヤマトシジミ漁
1971(昭和46)年、青森県から1000粒の種苗を真勲別(まくんべつ)川に放流。1984(昭和59)年から毎年、天塩漁協や西網走漁協から 種苗を放流するが、放流したシジミ以外の再生産が見られない。これは、石狩川が、シジミの産卵期に必要な塩分濃度が足りないことによる。
この後、豊平川のサケについての説明があり、最後に旭川に遡上するサケについてのお話がありました。
◆旭川に遡上するサケについて
・石狩川上流(旭川)は、河口から約150㎞も上流でありながら、かって(1870年以前)は、北海道有数のサケ遡上河川だった。
・しかし、1964(昭和39)年以降、河川の水質汚濁、農業用取水堰(花園頭首工)の建設などにより、サケの遡上が途絶えた。
・その後、市民によるサケ稚魚の放流継続や旧花園頭首工魚道設置などにより遡上が復活した。
有賀さんは、旭川でのサケ復活について、石狩川上流で昔生息していたサケの遺伝子は甦りませんが、多様性を持つ自然産卵によるサケが育ちます、150㎞上流の産卵地を目指すサケは、より未熟な状態(脂がのり美味しい)で石狩で捕獲されることが期待されるのです、と言って、本日のお話を結ばれました。
お話の後、質問の時間が設けられましたが、やはり石狩の方はサケについて思い入れが強いようで、多くの質問が出ました。
また、受講者からは
「石狩川は、唯、水が流れているだけと思っていましたが、生物、特に魚類の多さに驚きました。三日月湖でのワカサギ釣りが冬の風物詩となっております、川の汚染にも注意したいものです」
「石狩川におけるサケ漁場及びわかさぎ漁場、ヤツメウナギ漁場等、漁場として魚資源としての重要性がわかりやすい講座で大変勉強になりました」
「サケについて色々知識を得ました、ありがとうございました」
等のコメントが寄せられました。