5月29日(水)講座2 北の人物伝Ⅰ「北海道の歴史を彩った人々」の第2回 「大河ドラマ『八重の桜』ヒロインの兄・山本覚馬と土方歳三」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、日本ペンクラブ会員で歴史作家の好川之範(よしかわゆきのり)さん、受講者は、75名でした。
好川さんは、お話の前に、前回寄せられた「会津藩と屯田兵との関係」についての質問に答えられました。「琴似屯田兵の1/3は会津藩出身者でした、そしてもう1/3は仙台藩出身でした。でも、両者はあまり仲が良くなかったようですね。」
今日のお話の概要は以下の通りです。
1.八重を導いた兄・山本覚馬のお話し
1)豪気な顔と進取の顔
・覚馬は、八重の17歳上の兄。
・覚馬は、八重の言葉によると、ドラマ(西島英俊)と違って、22貫(約83㎏)もある偉丈夫だった。
・槍の達人(豪気な顔)であり、同時に、会津に会津藩蘭学所、京都に会津藩洋学所を開設すると云う日本の将来を見据えた進取な顔も持っていた。
2)蛤御門の変で突撃一番乗り
御所の鷹司邸に潜入した長州勢に大砲2発を撃ち、自ら突撃した。
3)土方歳三に恩師・佐久間象山の仇討を依頼
覚馬は、象山の庶子を新選組に入隊させた。
4)龍馬暗殺の夜、覚馬は・・・
龍馬が暗殺された夜(慶応3《1867》年11月15日)、覚馬と近藤勇は酒を酌み交わしていた(近藤勇が龍馬を暗殺していない証拠)。
5)獄中で「ビール、ワイン、焼酎をつくるべし」と提唱
「獄中二十三策」で国造り策として幅広い面からの提案をした。
6)初代京都府議会議長に
長州藩出身・槇村正直と対立し、1ヶ年で辞職。
平成25年2月から、府議会の展示コーナーで、山本覚馬の資料が展示されている。
2.土方歳三のお話し
1)役者のような美男子
天保6(1835)年、現在の東京都日野市に生まれる。新選組副長。
2)仙台城下の土方歳三
戊辰戦争で敗走、鳥羽伏見、会津を転戦し、仙台へ。さらに、徳川艦隊に乗船して、石巻を出航、「快戦殉国」の決意で蝦夷地へ。
3)新選組、鷲ノ木上陸
・仙台や箱館で新選組再構築(150人)
・五稜郭へ進撃、松前城を陥とす。
4)日本初の選挙で6位
・日本初の入札選挙で、土方歳三は6位票、陸軍奉行並に。
5)歳三と龍馬
・歳三・・1835年生まれ、身長167㎝、箱館で戦死。
・龍馬・・1836年生まれ、身長175㎝、一族は北海道移住。
共に、北志向、だった。
6)歳三と文学
歳三の句と歌
・梅の花一輪咲いても梅は梅 ・知れば迷いしなければ迷わぬ恋の道 ・我が齢凍る辺土に年送る ・よしや身は蝦夷とふ島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ
7)明治2年5月11日、五稜郭一本木関門から出撃して35歳で戦死した歳三の3つの謎
①狙撃者は誰か②戦死地はどこか③埋葬地はどこか、等については諸説多い。
・明治25年に、一族の依頼で室蘭警察署の加藤福太郎が調査を行っている。
3.榎本武揚「北の政府」のお話し
1)蝦夷地の199日間
・明治元年―第1次箱館戦争
・明治2年―第2次箱館戦争
2)十八万両の軍資金
・御金蔵から十八万両を移送して軍資金とした。
3)日本初の政権選挙
・明治元年12月15日、日本初の入札選挙で「北の政府」(榎本武揚の理想)樹立。
・榎本武揚トップ票で総裁に。
4)「北の政府」(6ヶ月で滅亡)の理想
・入札による共和制(日本初の政権選挙)
・負傷した敵兵を治療して敵へかえす(日本赤十字精神の発祥)
・自軍の兵の暴発を律する(日本初の近代軍法制定)
以上が、本日のお話の概要ですが、山本覚馬と土方歳三の風貌、人柄、行動の紹介だけに止まらず、「北の政府」の理想まで語られて、維新前後の時代の大きなうねりを感じることのできた講座でした。特に、2回のお話を通して、歴史は、見る立場によって、解釈が違ってくる、書かれた歴史は勝者側からなので敗者側の事柄はどうしても埋もれてしまう事が多い、歴史は敗者側からも眺めてみる必要がある、と云うことが良く分かりました。
受講者からも
「それぞれの立場からの歴史観があり、お話は大変面白く興味が持てました。戊辰戦争、鳥羽伏見、函館戦争と動きの激しい時代を過ぎ、今があるのだ、と考えさせられました」
「好川さんの話を聞き、150年前の時代がまさしく甦ったようである。別の角度からの見方があることを今後とも頭に留めておきたい」
「好川さんの人柄もあり、歴史への視点、特に一般論の裏に深い真実のあることに感銘!また勝った者の歴史観で物事は語られ書かれていると云う視点を持とうと思う」
「歴史を身近に感じることが出来た講座でした。歴史を動かした人々と出来事を多様な角度から観ることの楽しさを改めて感じました」
等など、多くのコメントが寄せられました。