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講座3 村山耀一さんと歩く「石狩歴史散歩~石碑が語る先人の足跡」

第2回 「明治2年の入植地『花畔・生振地区』の碑と歴史の痕跡を訪ねて」

2013/07/04

 6月29日(土)、講座3村山耀一さんと歩く「石狩歴史散歩~石碑が語る先人の足跡」の第2回「明治4年の入植地『花畔・生振地区』の碑と歴史の痕跡を訪ねて」を行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長の村山耀一さん、受講者は39人でした。

 今回の講座は、石狩への入植者の歴史の痕跡を村山さんの案内で見学し解説していただき、郷土の開拓と発展の歴史を学ぶものです。受講者は、一旦公民館に集まり受付と資料を受け取りました。ここで村山さんが、資料に掲載の花畔地区の写真が小さくて分かりにくいため、大判の写真を黒板に張り、事前説明会となりました。
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◎花畔地区
 最初に見学したのはいつも見慣れている石狩市役所前でした。公民館から歩いて市役所の正面玄関前へ。右手にいつも見慣れている胸像があります。「飯尾圓什之像」です。氏は明治28年に石狩町に生まれた方で、砂地には無理とされていた10線浜辺りに水田を作り、戦後穀倉地帯としたとのこと。また、町議・町長として活躍された方とのことです。
 続いて市民図書館前へ。ここには、図書館の開館記念として札幌市彫刻美術館より寄贈された「鳥の碑」の銅像があります。今回の2つの像と前回の「無辜の民像」は、いずれも本郷新の作です。
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 続いて図書館の裏側にある「花畔銭函間運河跡碑」へ。元々は低湿地帯の排水のために作られたものだが、「札幌・茨戸間運河(創成川)」と結んで札幌・銭函間を舟で結ばれたとのことです。
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 この後、明治6年に設立され開校140周年を迎えた「花川小学校(ほぼ現在地とのこと)」や石狩川治水事務所花畔工場のあった「治水工場跡地」、「花畔瑞穂神社跡地」などの説明を受けた後、花畔神社へ向かいました。

 花畔神社は明治34年に設立され、その後の石狩湾新港の開発によりこの地域の花畔神社、花畔瑞穂神社、太田神社を合併したことにより、金比羅大神(ことひらのおおかみ)など多くの神が祀られていることが碑に記されていました。また、この神社の境内には、「馬頭観世音」、「花畔開村五十年祈念碑」、「開拓碑」、「石川県開拓百年」など開拓者の碑などが沢山ありました。また、「平和祈念之碑」もありました。
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 現在の新港東地域の国道沿いに志美小学校の跡地があります。この志美小学校の脇の道路の花畔北三線と国道の交わる辺りに、「太田神社」があったとのことです。この北三線の道路は当時重要な道路で、旧石狩川に突き当たった所に「花畔北三線渡船場」があり、舟で生振に渡り茨戸渡船場で再度舟で茨戸に渡ったとのことです。
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 午前の休憩は、佐藤水産の「サーモンファクトリー」でとりました。ここに、「五番館広場」と看板の掛かった煉瓦造りの工場がありました。初代の佐藤三男社長が石狩で獲れる鮭で新巻鮭を作り、最初に札幌市内で売ったのが当時の五番館で、新港地域に工場を造った際、五番館をイメージして赤煉瓦2階建ての工場とし、五番館広場を作ったとのことです。道路側には、「鮭供養碑」が2つ並んでました。佐藤三男氏は命あるものに日頃から畏敬の念を抱いており、供養碑を設立したもので、右の小さな碑は元えりも工場に設立したものとのことです。
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◎生振地区
 続いてバスは、新港地域から茨戸川を渡り生振地域へ向かいました。生振地区は、花畔地区と茨戸川を挟んだ対岸地域で、花川・花畔地域に住むものにはなかなか訪れることのない地域です。
 生振地区では、最初に旧伏籠神社(生振神社に合祀)前にあった記念樹ハルニレ(アカダモ)を観察。推定樹齢300年の大木で、北海道自然保護条例の記念保護樹に指定されているとのことです。
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 午前の最後に訪れたのは、「参線小学校跡碑」でした。参線小学校は、昭和28年(1953)に生振小学校へ統合されますが、平成2年(1990)その跡地に建立された碑がありました。また、統合された生振小学校は、全町通学区の特認校とのことでした。昭和39年(1964)には、教材に使われたカエル、バッタ、チョウなどの霊を慰めるために生徒の発案で建てられたという「供養塔」もありました。
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 参線小学校跡地の見学のあと、生振ふれあい研修センターで昼食休憩となりました。ここ創成園は、旧生振小学校の跡地に造られた公園で、園内には「開村記念創生碑」、「中島源五郎句碑」、「生振開村百二十年碑」、「水鴻恩」、「開田之碑」、「戦没者慰霊平和祈念碑」、「岩鉄」、「揚水機」、「学校田」など沢山の碑などが建てられていました。
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 生振地区では、戦後食料需用にと開田事業を行いますが、その用水は旧石狩川からの電気揚水でまかなっていたいたとのことです。そのときの揚水機が置かれていました。
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 また、生振小学校では、田んぼを造っていたとのことで、その碑も建てられていました。
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 次に訪れた生振神社は、明治6年(1873)の小祠の建築がその発祥とのことですが、明治36年(1903)に神社として創立されたとのことです。ここには、明治27年(1895)に愛知県から入植し開拓に尽くした「長江常三郎顕彰記念碑」や「愛知県団体開拓百年碑」なども設置されていました。
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 生振八線には、霊感で万病を治すことで有名であった「生振観音堂」があります。ご本尊は伊勢観音で、全国から訪ねてくる人たちのために境内には旅館が2軒建てられていたとのことです。

 生振墓地には、石狩川アイヌの「豊川アンノラン墓碑」が設置されていました。アンノランは生振六線北に住んでいた石狩アイヌのエシカ(長老)で、鮭漁業に従事していたが、燻製鮭の製造、宮城県や山形県からの入植者への協力などを行っていたとのことです。
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 生振の痕跡等見学も茨戸に近づき「聖恩」を見学しました。この碑は、生振開村以来の旧石狩川治水事業等へ尽力した人々への謝意を表したものとのことです。
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 生振と茨戸間は、石狩川の改修工事で取り残された古川(茨戸川)を埋め立てて交通の利便をはかりたいとの地元民の要望で工事が行われたのだが、最後の細い川の部分に橋「観音橋」が架けられたとのこと。この橋は、石狩市と札幌市の境界となっており、現在も交通の要所として車等の往来に利用されています。
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 このコースの最後は、花川東にある「馬頭観音」碑でした。馬頭観音碑は、今回のコースでも幾つかありましたが、ここの観音碑が一番古いとのことでした。
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 14時45分、楽しさと若干の疲れを残してバスは公民館に到着しました。この日は、前回の雨やヤブ蚊の襲来にも遭わず快適な一日でした。
 今回の花畔・生振地区の巡回も、普段なかなか訪れることのない所であり、その歴史と痕跡には受講者一同驚くばかりでした。講師の村山さんも前回同様30頁を超える詳しい配付資料を準備され、それぞれの場所では資料の頁を示してくれての説明でたいへん分かり易く勉強でき、次回への期待も幾つか出されていました。

 また、村山さんは日頃から膨大な資料を収集されており、これらは先人の貴重な足跡を記したものであり、後生に伝承していく責任が私達にあると思われます。石狩市としてもITの進化しているいまこそ、そのデジタル化・保管を考えるべきではないかと強く感じた次第です。

 感想でも次への期待が寄せられていました。その主なものを紹介します。
「来年も同様な企画でバス見学を希望します。」
「今後もの地域の石碑等の講座をお願いします。」
「これからのライフワークとして石狩の歴史を何かの形で残すような事をしたいと考えていますので、今後もこうした講座があれば参加したい。」
「毎回新しい発見をしています。人間の営みの足跡を消さない為に記録(記憶)する事は大切なことです。」




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