6月7日(土)講座5『村山耀一さんと歩く~石狩歴史散歩』の第2回「原野の開拓から始まった『花川・樽川地区』の碑と歴史の痕跡を訪ねて」を行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長・場所請負人村山家子孫の村山耀一さんで、受講者は38名でした。受講者は、石狩市公民館に集合しバスで巡回しました。
車中での村山さんの挨拶では、当初の開拓は森を切り開きそこに畑を作る焼き畑農業が中心でしたが、このころの開拓は、砂との闘い、植えたものが飛ばされる風との闘い、そして泥炭との闘いであったとのことです。そして現在、村山さんは余暇に市の農園を借りて畑作をしているとのことですが、今でも砂と風との闘いだそうです。
◆ 紅葉山遺跡49号
バスは、公民館を出て道道花畔札幌線を東に向かい緑苑台を右折し紅葉山砂丘に沿い進みます。紅葉山の名は、旧石狩に北海道で5番目に低い紅葉山がありそこからきているとのことです。続いてバスは屯田墓地の横に出ましたが、この墓地は昔札幌の屯田兵の墓地としてつくられたとのことです。ここの土地はまわりの土地より高く水につきにくいところからここに作られたとのことですが札幌市営の墓地とのことです。向かいにある寺は「紅葉山 龍徳寺」で、小樽龍徳寺から札幌に移転した檀家の要望により創立されたとのことです。次にバスは「紅葉山49号遺跡」に。遺跡は55あるが発掘は4つか5つですが多くの遺物が発掘されているとのことです。現在ここは発寒川の遊水池となっており、その旨を説明した看板が建ってました。
◆ 了恵寺と境内
そのままバスは「紅葉山了恵寺」へ向かい、ここでは下車しての見学となりました。まわりには南団地の住宅が並んでますが、創立は明治27年(1894)で集会所もない開拓時代、近辺住民の唯一の憩いの場であったとのことです。
この了恵寺の境内には、昭和23年の造田を記念しての「創田之碑」、開拓者と共に飼育されていた家畜の「六畜謝恩之碑」や「南線小学校泰安殿」と門柱が設置されていました。これらはまさに紅葉山砂丘の上にあるとのことでした。
六畜謝恩之碑は、花畔村に生まれた横田庄八さんが昭和52年に建立したもので、六畜とは、馬・牛・羊・犬・豚・鶏とのことです。また、横田庄八さんは横田めぐみさんの祖父とことでした。
◆ 花川南公園と紅葉山33号遺跡
了恵寺の南側には、かってのニュー・サッポロ・シティ(旧称 新札幌団地)の施設としての跡地が拡がっていたとのことでした。内外レジャーランド、万博記念館のスカンジナビアン・パビリオンやボーリング場などの施設があったとのことです。
花川5丁目線の通りを南進すると斜め防風林の南側にある花川南公園が広がります。ここには、「紅葉山33号遺跡」があります。バスで遺跡まで行く予定でしたが、花川南小学校の運動会のため父兄の車が並んで進入できず5丁目通りから歩いての見学となりました。この日の石狩はあちこちの小学校で運動会が行われており碑巡りにも時間を要しました。
再びバスに乗り花川南中学校へ。ここの校庭には、「二等三角点」があります。この三角点は8km間隔で設置され三角測量の基準になるとのことで花川に幾つか設置されているとのことです。(図中の案内標識の右下方に十字マークが見える)
◆ 紅葉山砂丘の南端
バスは、紅葉山砂丘の端となる札幌市前田地区に向かい「発寒古川」を見学しました。この川に架かる橋には名盤がついてました。紅葉山砂丘は、内陸砂丘で札幌市手稲前田から発寒川北岸沿いに連なり花川南地区を通り生振をへて石狩川右岸美登位地区まで続く延長15kmからなる大規模なものとのことです。
◆ 樽川地区
バスは、石狩手稲線に出て再び石狩に戻り樽川地区に向かいました。この道路の左側には、大正から昭和にかけて馬車鉄道が走っていたとのことです。樽川地区では、最初に樽川の道路沿いにポツンと建っている「供養塔」の見学です。この一帯は、大正から昭和にかけて乳牛を中心とした農場であったとのことで、この供養塔は乳牛育成中に死んだ牛や馬の霊を慰めるために建立したとのことでした。
続いて「樽川神社」の見学です。この神社は明治37年に創立され天照皇大神を祀っているとのこです。
この境内には、樽川村開村(明治15年)から、開村59年並びに百年の記念碑、旧樽川小中学校の校庭にあった「二宮金治郎像」などが設置されていました。次の見学地に向かうバスの中で村山さんは、二宮金次郎の歌を披露してくれました。
次の見学地に向かう途中、運動会で盛り上がっている南線小学校の横を通りましたが、この小学校は現在の生徒数が916名と石狩市内の小学校で最大の生徒数を有しているとのことでした。さて南線神社ですが、日清戦争の勝利を祝して明治30年に創立されたとのことです。この神社の境内には、「南線神社創建百年碑」、「牛馬大神碑」、「開田之碑」、「町村農場発祥之地」などの碑が設置されていました。
今回の講座の最後の見学は、花畔北十三線にある「花畔営農区画整理組合」の碑でした。石狩湾新港建設に協力した花畔樽川の農家61名の記念碑でした。
今回の「石狩歴史散歩」は、私達の住んでいる花川・樽川地区が中心でしたが、こんな団地の中にこのような痕跡があったのかと、あらためて石狩の開拓の歴史を学んだ次第です。受講生の皆さんは次回の浜益地区の碑や歴史の痕跡に思いをはせながら散会しました。