9月16日(火)、講座9『北の人物伝Ⅲ~北海道の歴史を彩った人々』の第1回「荻野吟子~女医第1号から開拓地の医者へ~信念と愛の人」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北海道情報大学教授の広瀬玲子さん、受講者は45名でした。
広瀬さんは、お話の前に先ず自己紹介から始められました。
「私の専門は歴史学です。E・H・カーが『歴史とは現在と過去との間の尽きることのない対話である』と言っていますが、歴史学は、過去を明らかにすればそれで終わりと云うものではありません、それが現在とどのように関わっているのかも含めて考察するものなのです」
「研究しているのは、近代・現代で特に江戸時代の開国から1945年までの日本近代です」「男性主体の歴史から脱皮をはかるため女性史を研究しています」「これまで主に明治期のナショナリズムと女性史を研究してきましたが、現在は東アジアに視野を広げています」
そして、本題の萩野吟子のお話です。
1)北海道開拓と医療
・明治7(1874)年に医制76カ条が発布されたが、当時北海道の医師数は大変少なかった(明治9年に全道で99人)
・外国人女性医師
フランス人宣教師ヲネシム(明治11年)、アメリカ人医師ハミスファー(明治16年)、いずれも函館
2)女医荻野吟子の誕生と活躍
◇誕生
嘉永4(1851)年、武蔵国旛羅郡俵瀬村(現埼玉県妻沼町)の豪農の家に生まれたが、学問好きな子として才媛の誉れが高かった。
◇結婚と挫折
明治元(1868)年、稲村貫一郎に嫁ぐが、夫の淋病をうつされて実家へ戻る(当時、淋病は激しい痛みと発熱を伴う不治の業病であった)
◇治療の日々
明治3(1870)年から明治5年まで、下谷大学東校病院に入院したが、男性医師による婦人科治療の恥ずかしさと苦しさを体験して、医師になる決意をする。
◇吟子の決意
・同病で苦しむ多くの女性を見たが、これは女性であるがゆえに被る苦しみだった。
・男性医師に診察されるのを厭い、病気を悪化させたり、不妊症となって婚家を追い出される女性たちの存在があった。
・自分の苦しみは自分一人のものではなく、多くの女性の苦しみであることに気づいた。
◇手探りの女医への道
・国学者井上頼圀に入門し、私塾での講師の紹介も受けた。
・明治8(1875)年、東京女子師範学校(現お茶の水女子大学)に入学(在学中も病に苦しむ)
◇医術修行
・聴講生として好寿院に入学。
・当初は5~6人の女性が男子学生に混じって勉強していたが、3年間の修行を終え卒業したのは、吟子だけだった。
◇卒業はしたものの、医術開業試験の壁
・当時は、医師開業試験を受験できるのは男子のみだった。
・しかし、全国で女医志望の気運が高まっていた。
長崎県からの照会、論説「女医学校ノ必要」
・吟子も、東京府に2回、埼玉県に1回、内務省に1回請願した。
◇女医誕生―免許を持った女性の第1号
・明治17(1884)年、内務省が女子の受験を認めた。
・明治17年、前期試験に合格。
・明治18(1885)年、後期試験に合格(吟子35歳、受験者132人のうち合格者24人)
◇キリスト教への入信
・救い―心のよりどころを求めた。
・信仰―キリスト教信者との出会い(明治19年頃はキリスト教入信者が増加)
・女性とキリスト教―男女の対等性を認め、一夫一婦制が守られていた。
◇開業と社会活動
東京で開業する傍ら、家内衛生思想の普及に尽力し、廃娼運動の先頭に立つなど社会活動を行った。
◇志方之義(しかたゆきよし)との結婚
・吟子40歳、志方23歳で周囲の反対があったが、明治23(1890)年に結婚。
・志方は、北海道に小ピューリタン村建設の志を持ち、吟子も共鳴。
・志方は、結婚早々北海道(利別原野―現今金町)へ。
3)北海道の女性医師として
◇吟子、北海道へ渡る
・明治27(1894)年(44歳)に北海道へ渡る。
・利別原野での生活は、衛生状態の悪さ、マラリアの発生、虻・蚊の襲来などがあり、吟子の医術が役立った、と思われる。
・国縫への移住(志方がマンガン鉱採掘―失敗)
◇瀬棚で開業
・明治30(1897)年、鰊漁でにぎわう瀬棚村で萩野医院を開業。
・志方、養女トミ(志方の姉の子)との暮らしは楽ではなかった。
◇淑徳婦人会の活動
・東京にいた時と同様に、診療の傍ら日曜学校を創設し、明治31(1898)年には淑徳婦人会(包帯の巻き方の実習や災害地への義捐金募集などを行った)を設立するなど社会活動を行った。
◇東京へ
夫の死後、明治41(1908)年、東京へ戻る。
◇吟子の思想
・残された資料は少ないが、わずかに残っていた手書きの手帳から読み取ると、吟子の思想には、キリスト教精神、女性の自立意識、ナショナリズム・士族的精神(国家を支えなければと云う意識)の3つのポイントがあると思われる。
◇吟子の愛した言葉
・「常に真実を語れ」
・「人その友の為に己の命すつるは是より大なる愛はなし」(「ヨハネ伝」第15章より)
◇吟子に続いた北海道の女医
以上が本日のお話のあらましですが、お話を聞いて、病に生涯苦しみながらも、それをすべての女性の苦しみと受けとめて女医を目指し、女性には閉ざされていた医者への道を日本で初めてこじ開けて後輩への道筋をつけたばかりでなく、信念と愛情を持って弱者を見つめ続けた荻野吟子の生涯や考え方が大変良く分かりました。