11月13日(木)、講座13 藤村久和さんが語る『アイヌの生活と文化』の第1回「カムイノミ(神まつり)に見るアイヌの信仰」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北日本文化研究所代表で北海学園大学名誉教授の藤村久和さん、受講者は44名でした。
藤村さんは最初に、今回の講座の進め方について「みなさんにどうしたらアイヌの生活をうまく伝えることができるだろうかと考えて、今回は先ずビデオを見て貰い、そこから学んで頂こうと思っています」と話されました。
□ビデオ(約20分)
静内町の葛野辰次郎さんが取り行う神まつりの様子。
柳を削ってイナウを作るところからまつりの終わりまでを写している。
□ビデオを見た後の藤村さんのお話
●葛野辰次郎さん(1910年~2002年)について
・葛野辰次郎さんは、息子の捨男さんからアイヌの事を聞かれて諍いになったのを機に、自分が覚えているアイヌの事をノートに書き溜め始めたが、そのノートは風呂敷ふたつくらいにもなった。
・昭和50年代に、藤村さんは葛野さんの家に泊まって葛野さんからアイヌのことを色々聞き取った。
・葛野さんは、アイヌの単語については道内で一番よく覚えていた。
・藤村さんは、幣名や神様の名前が書かれたベニヤ板を見つけ、葛野さんに問いただすと、昔近所の人が集まって行ってくれた葛野家(お父さんは早くに亡くなって母子家庭だった)の神まつりの時の記録だった。
・藤村さんは、神まつりの再現を勧め、最初は受け入れなかった葛野さんもそのうち、お母さんから聞いたり自分で見聞きした記憶をもとに何十年振りにやってみることになり、それ以来神まつりを行うようになった。
●神まつりについて
・神まつりは、春と秋の年2回行われた。
・1週間ほど前から木(葛野さんの所ではヤナギ)を切ってきて皮を剥き乾燥させておく。
・神まつりの日の朝、イナウケマキリで木を削ってイナウ(日本の幣にあたり、人間の言葉を神へ伝えるもの)を作る。イナウは、チシマ、カラフトなどを含めてヤナギで作る地域が多いが、白老、虻田にかけてはミズキを使い、また両方を使う地域もある。
・イナウは4本ひとセットで一つの神に捧げる。葛野家では14の神を祭っていたが、14の神以外にも捧げる対象があるので、イナウは100本近く必要だった。
・午前中にイナウを作り、午後から神事を行って、翌日はあとまつりを行った。
□質問
●水、太陽などのほかどんな神がありますか?
大地、森、シマフクロウ、汀(入江)など日本の八百万の神と同じようにたくさんの神があるが、自分のくらしと密接に関わるものを神として祭った。アイヌは、自分の幸せは自分のせいではなく、神が幸せにしてくれたと考え、そのお礼にイナウを捧げた。これは、日本の玉ぐしと同じで、世界中の民族に見られる。神をまつる、木をまつる、木の枝を捧げる、のは神と交信すること。また、イナウを多く捧げられた神が位の高い神とされた。
●頭に巻いているイナウにはどんな意味がありますか?
ビデオではほとんどの人が付けているが、頭に巻くイナウは、神まつりの主宰者であることを表わし、まつりの責任を負うもので、本来はひとりが付けるものである。
●アイヌ語には日本語と同じ言葉が多くありますが日本の影響でしょうか?
カムイ―神、パスイ―箸、サケ―酒、カムタチ―かむだち(麹)など、特に神事に多い。これらは、日本語と言っても1200年前の律令時代の古語であり、日本の影響とも云えるが、同じ言葉がアイヌでは残り、日本では廃れたとも考えられる。
●お酒を廻し飲みするいわれは?
同じ思いを共有するため。
●食器は自分たちで作ったのですか?
お盆などは作ったかもしれないが、大抵は物々交換で日本から入った。
お膳―オッチケ(折敷から)、椀―イタンキ(板木から)。研究者によると、移入語とされるアイヌの言葉は、発音が律令時代のものとなっているので、共通して使用していた言葉がアイヌでは残り、日本では消滅したのではないか。
以上が本日のお話の概要ですが、自分たちが息災であるのは神のおかげだと感謝するアイヌの人達の考え方が良く分かりました。また、日本から移入語は律令時代の古語で、かっては日本人もアイヌも共通して使っていたものがアイヌ語の中に残っているのだというお話は大変示唆に富むものでした。