12月4日(木)、講座13 藤村久和さんが語る『アイヌの生活と文化』の第3回「自然と共にあるアイヌの食生活」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、北日本文化研究所代表で北海学園大学名誉教授の藤村久和さん、受講者は46名でした。
1回、2回と同様に最初にビデオを鑑賞しましたが、今回は浦河町の浦河タレさんがオオウバユリを採取してでんぷんを抽出する様子を写したものでした。
□ビデオを見た後の藤村さんのお話
●オオウバユリ
道内に自生。ビデオでは茎も利用していたが、一般的には鱗茎のみ利用。でんぷんがよく取れるため一番利用された貴重な食材であった。採取期間は、6月下旬以降1週間ほど。茎が鉄サビ色になった頃が採り頃。気候によってでんぷんの採取量が違うが、暖かい年の方がでんぷんがよく採れた。
●食用(でんぷん採取用)として本州から縄文中期(5,000~6,000年前)に北海道に持ち込まれた植物
①クズ
北海道ではあまりでんぷんが取れないため、定着しなかった。外皮から良好な繊維が取れるのでクズ布としても利用された。
②マムシグサ(エゾノテンナンショウ)
シビレる部分を除いて食べた。
③栗
日高山脈の西側でしか見られない。
●アイヌの食生活
・植物は、採取するだけでなく、種をばら撒いて増殖することにより食料の安定確保を図った。
・アイヌ語で畑のことをトイと云うが群落のこともトイと言い、食用植物の群落は畑だった。また、木の種子も撒いて森を育てた。アイヌにとっては、森はすべて畑であった。
・でんぷんが取れる植物は120種くらいあった。
・アイヌの植物採集範囲は、おおよそ40㎞圏内で、80㎏の重さの荷を背負った。
・食生活は、植物性の食物が8割で動物性の食物が2割。
・採取した植物は、主目的以外の部分も汁の実などに使ってすべてを有効利用した。
・ヒシの実も利用した。
・食材として利用された植物は、おそらく200~300種はあると思われるが、聞き取り調査が行われていないので資料として残っていない。
・寛政11年に渋江長伯が蝦夷地の薬用植物を調査。
・第二次大戦終戦前に、アイヌの植物利用について軍の調査が行われた。
●質問
①旧土人保護法はアイヌの生活と文化に役立ったのか?
「土人と云う言葉は、元々土着の人と云う意味で和人の開拓者も含み、明治の頃は差別用語ではなかったが、差別を受けるうちに次第に嫌われるようになった。旧土人保護法はアイヌの救済を目的とするもので内容は悪いものではなかったが、実体が無くなってしまった。旧土人保護法に代わるアイヌ新法(アイヌ文化振興法)は、文化面のみ助成している」
②「アイヌはいない」と云う発言が物議を醸しているが
「アイヌの系譜の人はむしろ増えているが、伝統を守りアイヌの文化を継承してくらしている人はいないし、アイヌ語も使われてはいない」
以上が本日のお話の概要ですが、今回の講座では1回目がアイヌの信仰について、2回目が伝承について、そして本日3回目が食生活について学び、アイヌの生活と文化が少し理解出来たように思います。アイヌの人の考え方には、現代の私たちが参考にすべきことがたくさんあるように思えました。今は使われていないアイヌ語や行われていないくらし方を伝えていくことは大変難しいと思いますが、是非これからもずっと伝え続けて欲しいものです。
受講者も3回のお話に感銘を受けた方が多く、たくさんのコメントが寄せられました。ここにその一部をご紹介します。
「時々新聞に名前が出て、藤村先生の研究活動が多方面で頭が下がります。また、違う見方からアイヌについて教えて頂きたい」
「映像を通じての講座はとてもわかりやすかった。先生の説明が実に面白かった」
「いつもながら藤村先生の、生活を共にしたアイヌ文化に対する見識の豊かさ、歴史的背景についての博学からのお話に感動いたします」
「今回の講座を受講してアイヌの生活様式、文化等が再認識され、今後このような講座を広げて市民の偏見を無くしていきたい」
「アイヌ新法など国の対応の良さか、アイヌの方々が大変活発に生活と民族運動をしていられるようです。本年白老の部落を見学しましたので生き生きとしている様子が判りました。講座は一層アイヌの生活がくわしくて良かったと思います」
「先生の説明だけでなく映像を見る事が出来大変わかりやすかった。アイヌの人々の生活の一端を垣間見て勉強になりました。道内にはアイヌ語からつけられた地名が多くあると思いますが、できればその紹介、解説なども聴きたいと思います」
「昔々小学生時代にクラスメートとしてアイヌの女性がいたことを思い出しました。髪の長い女性でした」
「とても面白かったですが、仕事を持っている者達にとって昼間はなかなか参加することが出来ないのが残念です」
「アイヌの生活、文化を知り、質問の旧土人保護法にいたっては深いお話、解説で頭が下がる思いで聞きました」