9月16日(水)、主催講座10「石狩の自然を歩く~紅葉山砂丘~」の第1回「気候の変遷と砂丘の形成」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、いしかり砂丘の風資料館学芸員の志賀健司さん、受講者は29名でした。
志賀さんは、こんな問いかけでお話を始められました。
「花川にあるこの会場は、標高は何mですか?そして海から何㎞ありますか?」
そう問いかけられると、津波のことが頭に浮かんでどきっとしますが、回答は・・・
標高は、4.2m、海からの距離は4.3㎞。私たちは、海に近く標高の低い地域に住んでいるということです。
回答のあと、石狩低地帯についての説明がありました。
さて、本日のお話は
1. 今見える石狩砂丘
2. 紅葉山砂丘の真の姿
3. 紅葉山砂丘の過去を暴く
と云う順で進められました。
1.今見える石狩砂丘
①砂丘とは
風によって運ばれた砂が堆積してできる丘や堤状の地形。鳥取砂丘が知られているが、日本最大は青森県・猿ヶ森砂丘。
※砂漠(降雨が極端に少なく、砂や岩石の多い土地のこと)とは違う。
②紅葉山砂丘
③現在見られる紅葉山砂丘
昭和40年代以降の宅地開発や砂利採取などにより大半は消失。
今でも残っている所は、茨戸霊園、生振寺、石狩翔陽高校、イオン緑苑台~紅南小学校、藤女子大学花川、花川南防風林など。
④砂丘上の遺跡
紅葉山砂丘の上には、縄文時代から擦文時代にかけての遺跡が多く見られる。
紅葉山33号、49号、51号、52号、上花畔1、N156(札幌市)など。
・石狩紅葉山49号遺跡
2.紅葉山砂丘の真の姿
紅葉山砂丘は、表土、風成砂層、海成砂層、円礫層からなっていて、基盤は円礫である。
.紅葉山砂丘の過去を暴く
①産出する化石
・ヤマトシジミ
シジミは汽水域に生息、当時の環境が推測できる。紅葉山49号遺跡付近の砂層から産出したものは、放射性炭素同位体年代では5350年前のもの。
・珪藻
紅葉山49号遺跡付近の砂層の珪藻化石の種類は、約6000年前から現在にかけて、海の珪藻から汽水の珪藻、淡水の珪藻へと変化していて、環境の変化が読み取れる。
②紅葉山砂丘の古環境
約6000年前、石狩低地帯の北部(現在の札幌中心部から北)には、当時の温暖な気候による海水準の上昇のため、海が低地に入込み(縄文海進)、「古石狩湾」と呼ばれる内湾となっていた。花川など旧石狩市の大部分も海底下であった。
その内湾の入り口には砂州(砂でできた海面ぎりぎりの細長い地形)が作られ、内湾をふさぐような地形になっていた。
その後、気候が少し冷涼になり、海水準が低下するとともに石狩川の土砂によって古石狩湾は陸地へと変化していった。その際、砂州だった地形は、周囲より盛り上がった「砂丘」となった。こうして出来たのが、紅葉山砂丘。
屯田墓地付近の紅葉山砂丘には、海浜植物であるハマナスがわずかに生息している地点があるが、これは、かって紅葉山砂丘が海岸だった頃の名残りかもしれない。
以上が本日のお話の概要ですが、志賀さんは最後にまとめとして、紅葉山砂丘の標高は三角点の位置で17.6mであること、砂丘の基盤は円礫であること、紅葉山砂丘は、6000年前の砂州であることを質問形式をとりながら話されました。
本日のお話は、砂丘の形成や構造、今に残る姿など紅葉山砂丘のことが大変良く分かるものでした。
次回は、現在残っている紅葉山砂丘の姿を実際に見て歩いて確かめることになっていますので、ご期待下さい。