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主催講座11 「北の人物伝Ⅱ~北海道開拓とお雇い外国人~」

第2回 「ウィリアム・S・クラーク~戦前70年と戦後70年、日本教育におけるクラークの位置づけ~」

2015/09/26

 9月24日(木)、主催講座11「北の人物伝Ⅱ~北海道開拓とお雇い外国人~」の第2回「ウィリアム・S・クラーク~戦前70年と戦後70年、日本教育におけるクラークの位置づけ~」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、5月の主催講座2で「新渡戸稲造」のお話をして下さった北海道大学名誉教授の藤田 正一さん、受講者は41名でした。

 藤田さんは、本論に入る前に戦後70年の今の大学教育について「文科省は、文系学部については廃止も含めてより社会的要請の高い分野に転換するよう指導する一方、大学法人化以来文科省の評価に応じた予算決定を行う仕組みになっていて、予算が欲しければ文科省に逆らえない」現状を紹介されました。
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 以下は本日のお話の概要です。

1.戦前70年
1)クラーク博士の教育精神の源流
・マサチュセッツ州という土地柄(独立戦争を戦い勝利した建国の父達の精神が生きている)
・ウィリストンの思想
クラークが高校教育を受けたウィストン・セミナリーは、普通の労働者にも教育が必要という思想のもとに創設された学校であり、クラークの教育に於ける平等主義のルーツとなった。
・アマスト大学
アマスト大学(新島襄も学んだ)はリベラルアーツ大学として全米随一で、人間を作る教育を行った。
・南北戦争の大義
リンカーンの奴隷解放の呼びかけに応じ、自ら志願して出征した(忌まわしい奴隷制度をこの地上から払拭したいという思い)。
・マサチュセッツ農科大学設立に奔走
アマスト大学に戻り教授となり、アマストへの州立大学誘致に奔走、誘致に成功した。
2)札幌農学校への赴任
・開校式辞で「地位と名誉を目指すのではなく、地位と名誉に値する人物となれ」と話した。
・「校則は、Be Gentlemen!この一言で十分だ」と言った。
規則で縛るのではなく、自由のうちに自ら考え自らの規範を確立し判断出来る心を持った責任ある行動ができる本当のgentlemanを育成する教育を目指した。 
3)クラーク博士の精神とは
・Be Ambitious:大志を抱け(開校式辞と別れの言葉)
知識や正義、人々の向上のために人としてあるべき姿に到達できるように、大志を抱け。
・Be Gentlemen:紳士たれ(校則)
自由のうちに自主・独立の精神を持った確固たる個の確立を目指すとともに自制・自律を求めた。
・自由の精神
自由が大志、学問、道徳をそだてる。
・自由・平等・博愛の精神
・弱者の側に立つ
・利他の精神
・正義を主張する不屈の精神
4)わずか8カ月の滞在なのに、どうしてクラークの精神が札幌農学校に根付いたのか
・クラークの個人的魅力
・ピューリタンの精神は武士道との相性が良かった
・クラークの後継者はクラークの教え子だった
5)札幌農学校の教育精神の醸成
・クラークの個性と教育精神
・クラークの弟子の米国人教師達(ホイーラー、ペンハロー、ブルックス、カッター)の個性と教育精神
・札幌農学校の卒業生で農学校教授となった人達(武士道精神の上にクラークたちの教育精神を植え付けられた)の個性と教育精神
6)札幌農学校の教育精神
クラークの精神を土台にし、正義を主張する不屈の精神を持ち、勤労を重視し、平和主義で、学んだことを社会へ還元する実践の学問、困っている人々の役に立つ学問を重視した。
7)札幌農学校の教育思想の影響を受けた人達
佐藤昌介(1期生)、内村鑑三(2期生)、新渡戸稲造(2期生)、志賀重昂(3期生)、南原茂・矢内原忠雄(新渡戸稲造、内村鑑三の教え子)、石橋湛山(1期生大島正健の教え子)、白州次郎(2期生鶴崎久米一が校長の神戸一中で学ぶ)
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8)札幌農学校の教育方針の転換
初期の教育は政権にはっきりとものをいう人格を育てたが、政権はこれに不満と警戒感を持ち、この学校をつぶそうとした(予算の削減、工学科廃止)
校長となった佐藤昌介の努力で廃校の危機は乗り越えたが、学校の存続を担保に「人間を造るリベラルな教育方針」は転換をせまられた。
それ以後は、キリスト教色、自由主義色を排し、国家主義型教育へと転換した。
10)時代の流れへの抵抗
・新渡戸稲造:政治は決して教育機関に干渉すべきではない
・矢内原忠雄:戦争を挑発するような制度及び思想に抵抗することは真理探究者の自明の任務と云わなければなりません
11)戦前の70年
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2..戦後70年
1)旧教育基本法と札幌農学校の教育
旧教育基本法(昭和22年制定)の第1条(教育の目的)は札幌農学校の教育思想と驚くほど似ている。これは、旧教育基本法の直接の生みの親が、新渡戸稲造、内村鑑三に強い影響を受けた人々、即ち、札幌農学校の教育思想の継承者であったため。
札幌農学校のクラークの教育精神は、内村鑑三、新渡戸稲造を通してその教え子まで伝わって、旧教育基本法を生んだ。
2)我が国を支配した教育思想の流れ
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 以上が本日のお話の概要ですが、クラークの教育精神とはどのようなものであったのか、それがどのように伝えられたのか、が良く分かるお話でした。

 受講者からも多くのコメントが寄せられましたが、そのうちの3つほど紹介いたします。
「パワーあるお話、活字で見るだけでは胸にせまってこない人物像が鮮やかになった思いです」
「上辺だけで知っていた北大の歴史、様々な関わり・流れを目からうろこの思いで興味深く学習出来ました」
「今回の二人は、北海道開拓に大きな足跡を残したわけであるが、単なる明治の人だけではなく現在の戦後70年に問われている重要な問題に対する答えへの一つを残していることに興味を持った」









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