主催講座9 「おもしろ、いしかり大百科」
2015/12/05
12月3日(木)、主催講座9 「おもしろ、いしかり大百科」の第2回 「石狩に伝わる優雅な越後盆踊りのお話し」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、いしかりガイドボランティアの会会員で石狩市郷土研究会監事の高瀬たみさん、受講者は35名でした。
以下は高瀬さんのお話の概要です。
石狩越後盆踊りのお話の前に、石狩川や石狩弁天社、石狩八幡社、石狩の4つのお寺などについての説明がありました。
◇石狩越後盆踊りが生まれる背景
1)場所請負制の廃止
安政5(1858)年に石狩役所は、場所請負制を廃止。神威岬以北の婦女子通行が許可されたことにより、石狩は大幅に出稼ぎ、永住者が増え、それに伴い商工業者も移住して、100戸余の家並みができた。
2)越後衆について
・明治初期は鮭漁が豊漁で、同10年後半から新潟、青森、岩手などから移住。
・同21年前後に先の移住者を頼り新潟県北蒲原郡から転入。
・昭和初期~20年代には、漁業者の3分の2は越後衆だった。
・著名な越後衆
長野徳太郎、中島吾作、高橋儀兵衛、後藤要次郎、吉岡正之助など。
◇石狩越後盆踊りの誕生
・明治初期に、越後衆によって踊られ、伝えられた。
・北海盆唄の元歌と言われる。
・踊りは、反時計回りの円舞式。
1)踊り
穏やかな波を表現したゆったりとした「流し」と荒い波のうねりを表現した「こだいじ(広大寺)」の組み合わせからなる。
2)音頭・鳴り物
・音頭(唄)
音頭取りは、声自慢の者が唄った。太鼓と樽で調子をとり、踊りはゆったりした「流し」で唄を聞かせた。
・鳴り物
太鼓、樽、横笛、鉦。「こだいじ」の時に全部揃う。太鼓は力自慢の漁師が叩いた。乱れ打ち(乱打)。乱打後「流し」で呼吸を整える。
3)「こだいじ(広大寺)」踊り
元禄年間(1688~1703)新潟県十日町にある広大寺の住職廊文和尚の行状を唄ったもの。それが、ごぜたちによりひろまり新潟地方の盆踊りとして定着。
4)男踊り、女踊り
男踊りは腰が低く、女踊りはしなやか
5)故郷にもない賑わい
・期間 8月14日~16日 午後6時~9時、10時頃まで
・櫓の周りを二重三重になって踊り、見物人も四重五重になり、その数数百人にもなった。
・鮭漁衰退の打開策として北洋漁業に出漁した昭和8年~10年代には、さらに賑わった。三か月余の過酷な漁労に耐えた漁師を越後盆踊りで迎えた。
・櫓は1~3ヶ所。
6)歌詞
・新潟出るときゃ涙で出たがよ 今じゃこの地でえびす顔
・石狩名物数々あれど 春はハマナス秋は鮭
・石狩岬に灯台あれど 恋の闇夜を照らしゃせぬ
・石狩新港にドンと打つ波は 可愛いあの子の度胸だめし
・石狩良いとこ一度はおいで 海に黄金の鼻が咲く
・親の教えと茄子の花は 千にひとつの無駄もない
・・・
7)甚句
・東西また読み上げまする わたしゃ他国の飛び入り音頭 乗るか乗らぬか ノーわしゃしらぬ 文句違いややカナ間違いは お国訛りとご容赦なされ 許しナーイヤなさればや アレサ読み上げるヤーレ
・・・
8)詩型
・七七七五調(26句)
・ほかに 五七七五調
・歌詞をつけ易く、リズムにのり易く、調子をとり易い。
9)変遷のまとめ
・明治10年後半から新潟、青森、岩手などから漁夫たちがやってきた。
・明治22年北海道毎日新聞の記事によると、「越後盆踊りや津軽踊りの催しがあり漁夫も休み」
・故郷にもない賑わいを見せたのは、昭和初期と戦後20年~30年代まで。戦争中は中断。
・昭和40年代になると「北海盆踊り」が主流となる。
・昭和50年代には盆踊り自体が無くなる。
・昭和59年、石狩越後盆踊り保存会設立(60名)
共通の振り付け、衣装、笠も統一
・平成8年、市制施行記念の野外劇出演で会員を募集。多い時で百名近くになる。
・現在会員27名。
・高齢化と住民減少により、平成25年から本町での盆踊りは無くなる。
10)衣裳
11)最近の活動
「さけまつり」、夏まつりなどのイベントで踊る。
12)北海道に伝わった越後盆踊り
・小樽高島越後盆踊り
・白老町虎杖浜越後盆踊り
・古平正調越後盆踊り
・根室おどり
・石狩越後盆踊り
いずれも保存会を組織して継承
以上がお話の概要ですが、石狩越後盆踊りの事が大変よく分かるお話でした。
最後に、ビデオを鑑賞して、石狩越後盆踊りについての講座は終了しました。
受講者からもたくさんのコメントが寄せられましたので、その一部をご紹介します。
・数年前に盆踊りの姿の美しい石狩の地図を見たことがありました。今日のお話は大変興味深く聞きました。盆踊りを再現された石狩の方々に敬意を表します。この取り組みを多くの方に伝えて下さい。
・越後盆踊りの歴史がこんなに深いとは驚きです。大変面白く聞かせていただきました。
・大変良かった。石狩に越後の人がこんなに多いことを初めて知った。別の形で私も調べてみたい。
・高瀬さんのお話し、大変勉強になりました。又、久しぶりに若い頃に過ごしてきた自分の故郷を思い出しました。いつまでもこのような石狩の歴史(伝承)を守り続けていきたいものですね。
・北海盆唄のルーツが越後盆踊りとは初耳でした。源流から大河へと他地区にも影響をおよぼしているんですね。知らない事が多くおもしろかった。
・越後盆踊りがサケ漁の歴史と共に分かってとても面白い話でした。越後盆踊りがこれからも保護され踊られることができればと望みます。目にする機会が市民にももっと伝わってほしいです。