平成28 年2 月3 日(水)講座16『明治初年の文化政策とアイヌ』の第2回「アイヌの文化政策とその現状」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師はアイヌ文化史の専門家である北海道大学アイヌ・先住民族研究センター客員教授の佐々木利和さん、受講者は48 名でした。
佐々木さんは、まず前回の講座に関連して「志村弥十郎は本当に石狩アイヌか?」、「いつ東京に来て、いつ東京を出て行ったのか?」、「何故この人が開拓使にいて、何故万国博に関わるようになったのか?」等々についてはさらに明らかにして行く必要があると述べられ、今回の「アイヌの文化政策とその現状」の話しに入っていかれました。以下にその概要を紹介致します。
アイヌの人びとは明治以降北海道開拓の美名のもとに自らの生活圏を奪われ、漁場での単なる働き手として取り込まれて、長い間差別されてきた。このようなアイヌの人びとに対して、近年のアイヌ政策はどのようになっているか、その動きを辿ってみたい。
重要な第一歩は平成19(2007)年9 月に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」である。46 ヶ条からなる宣言には、「先住民族である私達は私達のことを自分たちで決定するという"民族自決権"」、「伝統的な文化や習慣、宗教的儀式を回復・継承する権利を有するという"文化の保有権"」および「先住民族の言葉で教育するという"教育権"」などが述べられている。例えば、熊などの動物はカムイ(神)であり、人間世界に遊びに来られたカムイを神々の世界にお送り申し上げる祭儀であるイヨマンテは、野蛮な儀式であるとか動物愛護の点などから批判をあびてきたこともあったが、「ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを1、2 年間大切にもてなした後、イヨマンテを行って神々の世界にお帰り頂き、ヒグマの肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産で皆がありがたく頂く」という考えで行われてきたものであり、アイヌの人びとの独特の宗教儀礼として尊重されるべきものである。
国連宣言を受けて国内では平成20 年6 月6 日に「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案」が衆参両院において全会一致で決議された。決議案の一部を以下に紹介する。
「昨年九月、国連において『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が、我が国も賛成する中で採択された。これはアイヌ民族の長年の悲願を映したものであり、同時に、その趣旨を体して具体的な行動をとることが、国連人権条約監視機関から我が国に求められている。我が国が近代化する過程において、多数のアイヌの人々が、法的に等しく国民でありながらも差別され、貧窮を余儀なくされたという歴史的事実を、私たちは厳粛に受け止めなければならない。全ての先住民族が、名誉と尊厳を保持し、その文化と誇りを次世代に継承していくことは、国際社会の潮流であり、また、こうした国際的な価値観を共有することは、我が国が二十一世紀の国際社会をリードしていくためにも不可欠である。(途中一部省略)政府は、これを機に次の施策を早急に講じるべきである。
一 政府は、『先住民族の権利に関する国際連合宣言』を踏まえ、アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道に先住し、独自の言語、宗教や文化の独自性を有する先住民族として認めること。
二 政府は、『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が採択されたことを機に、同宣言における関連条項を参照しつつ、高いレベルで有識者の意見を聞きながら、これまでのアイヌ政策をさらに推進し、総合的な施策の確立に取り組むこと。右決議する。」
国会決議の日に、内閣官房長官は「アイヌを先住民族と認識し、有識者懇談会を設置して検討する」ことを表明した。それを受けて平成20 年7 月に設置された「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が平成21 年7 月に、①アイヌの人びとの意見を政策推進等に反映するための場の設置、②「民族共生の象徴となる空間」の整備、③全国的見地から必要な生活向上施策の検討・実施、④国民理解の促進などの提言を行った。提言①によりアイヌの委員5 名を含む14 名の委員から成る「アイヌ政策推進会議」(座長は内閣官房長官)が平成21 年12 月に設置され、年1~2 回の会議が今も続けられている。提言の②~④については、平成23 年8 月に道知事や札幌市長、4 名のアイヌの人びとを含む10 人の委員による「政策推進作業部会」が設置され、「民族共生の象徴となる空間」の具体化、北海道外アイヌの生活実態調査を踏まえた全国的見地からの施策の展開、および国民理解を促進するための活動などが検討されている。
国のアイヌ政策の体系は、内閣官房長官の下に設けられた「内閣官房アイヌ総合政策室」が政府全体の企画立案・総合調整を行う形で行われている。主な政策課題は、下図に示すように、①アイヌ文化の振興と普及啓発、②アイヌの人びとの生活向上である。この総合政策室には道庁からも職員が派遣されている。③は、白老につくる予定の"アイヌ文化ナショナルセンター"を想定している。
「民族共生の象徴となる空間」(象徴空間)については、平成23 年6 月アイヌ政策推進会議の作業部会によって基本コンセプトが取りまとめられ、平成23 年度国交省北海道局による象徴空間のイメージ構築に向けた調査実施、および平成24 年7 月にはアイヌ政策関係省庁連絡会議で象徴空間の基本構想などが決定された。象徴空間の位置や機能は以下の図にまとめられている。場所は下図に示したように白老のポロト湖畔を中心とした地域であり、土地は「中央広場ゾーン」、「博物館ゾーン」および「体験・交流ゾーン」の三つのゾーンに分けることが計画されている。
象徴空間の整備に向けたロードマップは下図のようになり、平成32(2020)年度の公開を目標としている。
北海道外のアイヌの人びとについての対策としては、道外のアイヌの人びとを対象とした生活実態調査(241 世帯中153 世帯が回答[回収率63.5%]、318 人中210 人が回答[回収率66.0%];平成23 年6 月作業部会報告)に基づいて検討が進められている。
国民理解の促進については、アイヌ語の挨拶「イランカラプテ」(こんにちは)を北海道のおもてなしのキーワードとして普及させようとする「イランカラプテ」キャンペーンが現在進められている。ロゴマーク・キャッチコピーの作成や専用web によるプロモーション、空港や駅での展示などが実施されており、新千歳空港2F の国際線連絡通路では「イランカラプテ」のフラッグが掲げられている。
今後の大きな検討課題のひとつとして、アイヌ人骨の返還がある。大学等が過去に発掘・収集したアイヌの人びとの人骨を、今後遺族等に返還し、返還の目途が立たないものについては象徴空間(白老町)に集約して尊厳ある慰霊を行おうとするものである。アイヌの人びとの人骨は古くから人類学等の研究対象となっており、江戸時代末期に英国領事館員らが道南のアイヌの墓から人骨を発掘して持ち去る事件もあった。また、明治中期から昭和初期には、日本人の起源をめぐる研究のために日本人研究者等によるアイヌ人骨の発掘・収集があり、現在も一部の大学等が研究資料としてアイヌ人骨を保管している。ちなみに、平成23~24 年に大学あてに行ったアイヌ人骨の保管状況の調査では、北大を含めた11 大学が遺骨を保管しており、個体ごとに特定できたものは1,635体(個人が特定できたものは23 体)で、個体ごとに特定できなかったものは515 箱であった。
最後に質問を受けられました。「ウタリ協会とアイヌ協会の関係は?」という問いに対し、「昔は"アイヌ"が差別語であったためウタリ協会という名前にしていたが、今はアイヌ協会に変わっている」との回答、「白老以外の土地のアイヌに対してはどうするのか?」との質問に対し「平取など各地のアイヌの人びとと協調、協同しながら進めていただく。白老の施設は日本のアイヌ民族全体のものである」と回答、「市会議員の発言の背景にある団体などは何か?」については「わからない」と回答されました。
受講者の感想や意見として以下のようなものがありました。
・皆さん、とても一生懸命に聴かれ、自分達の住んでいる町のことを詳しく知っておこうという誠実な態度で学んでいました。講師の佐々木先生も誠実な説明、講座の進め方でとても素晴らしく、感心しました。
・とても良かったです。人種差別、人権に対する考えの甘さと「知らない」ことによる差別意識をいかにふっしょくしていくかが課題だと思いました。
・アイヌ民族の深い差別問題について知ることができた。そもそも我々の生活の中にアイヌ民族の文化が浸透していないことに問題がある。アイヌ史をどのようにとらえ、我々にどのように示されるかを期待したい。
・アイヌ民族との共生をしっかり学びたい。北海道アイヌ、沖縄にも同じような人がいます。そのつながりは、どうなんでしょうか。
・「イランカラプテ」がおもてなし観光に使う程度の理解しか一般化されていない気がするし、国の政策の不備が目についてならない。
・ある程度国の政策の歴史と近年の様子は理解できる気はしますが...。今何が問題で、これからの展望やあるべき方向があまりみられなかったので...、ややものたりなさを感じた。
・松前藩時代のアイヌの現状について知りたかった。本日のアイヌ政策については北大の講座で2 回ほど聞いている(他の先生の講義で)。
・石狩市にも矢臼場、生振、浜益等に集落があった。そのなりそめを知りたかった。