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主催講座3 「『北海道遺産を巡る旅』~次世代に引き継ぎたい北海道の宝物~」

第1回 「小樽・後志地方の北海道遺産を訪ねて」

2016/06/02

 5月31日(火)主催講座3「『北海道遺産を巡る旅』~次世代に引き継ぎたい北海道の宝物~」の第1回「小樽・後志地方の北海道遺産を訪ねて」を行いました。講師は元高校教師の小林 保彦さん、受講者は47名でした。

 今回は、52の北海道遺産のうち後志にある3つの遺産「小樽みなとと防波堤」「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」「積丹半島と神威岬」をバス巡回し、車中では小林さんから地質、地形についての詳しい説明や通過地にまつわるお話を聴きました。

◇小樽までの車中での小林さんのお話
・手稲山岩屑(がんせつ)なだれ
岩屑なだれとは、火山体の不安定な部分が表層なだれのように崩れ落ちる現象。手稲山は札幌から見ると前面が急崖(滑落崖)になっているが、これは大規模な岩屑なだれが起きた痕。急崖の下の緩斜面は岩屑なだれ堆積層で占められ、最大幅2㎞、奥行き6.5㎞、崖の落差約400mと云う大規模な岩屑なだれで形成された地形で、末端はJR手稲駅付近まで達している。地すべりは、5万年前より古いと考えられる。
札幌西部山地から今回訪れる積丹半島にかけては、下位のハイアロクラスタイト(水冷破砕岩)を主とする海底火山噴出物を上位の平坦面溶岩が覆い、1000~1500mの溶岩台地状の地形となっていて、その溶岩台地の周辺に地すべり地形が分布している。
・ハイアロクラスタイト(本日巡回する地域の地形のキーワード)
海水中に噴出した溶岩が急に冷やされたり発砲することで破砕し、色々な大きさの岩塊や角礫、ガラス片のかたまりとして堆積したもの。
 
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・歴史と坂のまち小樽
1880年に北海道最初の鉄道(手宮~札幌間)が開通。19世紀末から築港された小樽港は1908年に北防波堤が完成。石炭の輸送や樺太、ロシアとの交易で栄え北のウォ-ル街と呼ばれた。1920年頃までは札幌より多く函館に次ぐ道内第二位の人口があった。

◇小樽みなとと防波堤
・小樽みなと資料館
ビデオも見ながら小樽港の歴史や北防波堤建設にあたった札幌農学校2期生の広井勇の業績を学びました。北防波堤の建設が始まった1897(明治30)年当時は、本州での防波堤建設がコンクリートブロックのひび割れなどで相次いで失敗する中、広井は独自の工法を模索し、コンクリートに火山灰を配合したり、コロンボ港防波堤を参考にブロックを斜めに積むなどして防波堤の強度を強めることに成功、1908(明治41)年に防波堤は完成した。この防波堤は「現在も使われているのは日本土木史で驚異的」として昨年選奨土木遺産に選ばれた。
 
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・北防波堤
バスで港へ行き、車中から北防波堤を見学しました。
 
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◇小樽から余市までの車中
・手宮洞窟とフゴッペ洞窟の岸壁画
手宮洞窟―1866(慶応2)年に発見される。約1,600年前頃の続縄文時代中頃~後半の時代。
フゴッペ洞窟―1950(昭和25)年に中学生により発見される。
両者とも同時代に刻まれたと思われ、舟、魚、人などが描かれたものと考えられる。似ているものもある。このような岩壁画は日本海を囲むロシア、中国、朝鮮半島などに見られ、日本海を囲む大きな文化の流れを表すものと考えられる。
・小樽の地形
小林多喜二の「転形期の人々」に、火山岩や火山砕屑岩が厚く重なり海にせまって崖や坂道をつくっている小樽の地形が描かれている。
・伊藤整
文学者。チャタレー裁判の当事者としても著名。塩谷に文学碑がある。
・余市に関わりのある文学者
幸田露伴、余市町に2年ほど住んでいた。

◇ニッカウヰスキー余市蒸溜所
甘い香りの漂う蒸溜所の中を、50分ほどガイドさんに案内してもらって、ウヰスキーが出来るまでの各工程棟や竹鶴政孝とリタの住居などを見学しました。本物のウヰスキーをつくるために、手間を厭わず挑戦を忘れなかった竹鶴政孝の理想が今も守られているそうです。最後は、ニッカ会館でウヰスキーや果実酒の試飲を楽しむ事が出来ました。
 
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◇積丹への車中
・蝋燭岩
ワッカケトンネルを出ると右前方に高さ45mの積丹半島のランドマークとも云うべき蝋燭岩が見える。鰊の豊漁をもたらす「神様の岩」としてあがめられた。安山岩質のハイアロクラスタイトからなり、火山噴出物の通路(火道)が残った物と考えられている。昔は、今の倍の大きさがあったが、昭和16(1941)年に縦の亀裂から半分が崩れ落ちた。
 
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・豊浜トンネル岩盤崩落事故
平成8(1996)年2月、トンネルは岩盤が崩落、通行中のバスと後続の乗用車1台が直撃を受け、バスの乗客、乗務員、乗用車の運転手合わせて20名が全員死亡した。崩落を起こした海蝕崖は、ハイアロクラスタイトなどの火砕岩類からなり、岩石内の亀裂が地下水の氷結圧、風化作用や重力などによって開口し、岩盤崩落したもの。事故後、トンネルの古平側坑口脇に防災記念公園を新設、敷地内に慰霊碑が建立された。2000年に新しいトンネルが開通した。

このあたりから、ぽつぽつと雨が降り出しました。
美国からは、積丹町役場観光課の佐藤主査に乗車してもらい、積丹について種々説明をして頂きました。

◇島武意海岸(しまむいかいがん)
幸い雨はさほどではなく、無事に見学することができました。
島武意海岸は、透明度が高く「日本の渚百選」に選ばれている。初夏には、積丹の町花・エゾカンゾウで彩られる。海岸を望むには、かってニシン漁で使われたと云う高さ1.8m幅は二人並んでやっと通れるほどのトンネルをくぐって行かなければならない。
 
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◇神威岬
雨がひどくなり、残念ながら岬を散策することはできず、シャコタンブルーを見ることは叶いませんでした。

◇沼前地すべり跡
大規模な地すべり跡を見学しました。
 
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◇帰りの車中
・袋澗(ふくろま)
陸揚げできなかったニシンを一時的に保管しておく生簀のような場所。
・念仏トンネル
神威岬北側崖下徒歩道で、灯台長の家族が波にさらわれる事故があったことから、村民が手堀で作ったトンネル。
・余市町の成り立ち
明治4年に会津藩士166戸600人が山田村と黒川村に入植。明治8年、開拓使から446本のリンゴの苗木を配布された。これが余市町が果樹栽培の主産地となるきっかけ。
・小樽の坂
小樽にはたくさんの坂がある。
広報おたる連載の「おたる坂まち散歩」には、五百羅漢の坂(勾配20%の急坂)、団子坂、地獄坂、なべこわしの坂など31の坂が紹介されている。
・岩石薄片観察
0.02~0.03mmまで薄くした岩石薄片を2枚の偏光板ではさんだものを、ルーペで観察しました。
 
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 こうして、バスは予定の5時30分より少し前に公民館に到着、本日の北海道遺産を巡る旅は終了しました。最後の神威岬が雨で眺望出来なかったのが残念でしたが、概ね順調に推移したバスの旅でした。
一日案内をして下さった小林さん、積丹地区を案内頂いた積丹町役場の佐藤さん、帰りの車中で余市や小樽の話をされた木戸口さんに感謝しながら、解散しました。






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