10月28日(金)、講座12「北海道150年物語」の第3回「北の大地に新天地を求めて~北海道へ移住した人々~」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は北海道史研究協議会副会長の関秀志さん、受講者は56名でした。
関さんは冒頭、「石狩とは縁が深く、何十年も前に厚田におじゃまして、この地方の歴史について講演させていただきました。浜益では、庄内藩陣屋地域の調査と保存に関するプロジェクトに参画させていただきました。ご当地石狩での講演は今回で3回目になります。」などのお話をされ、ご講話に入られました。
以下、その概要を紹介します。
◇はじめに
北海道の特色の一つは、全国から集まった人々によって造られた地域であること。それから、先住民族であるアイヌの人たちが現在も住んでおられること、そのことが北海道の歴史の特色の大きなポイントである。
北海道の開拓を担ってきた人たちが、どういうふうにして北海道に来てどのような開拓を行なったか、ということが話の中心である。
(1) 時代背景
〇明治中期(明治20年代)~大正中期:北海道の開拓・拓殖が急速に進展した時代(北海道開拓の最盛期)、その主な担い手が府県からの北海道移民。
〇北海道庁の開拓・移民政策:直接保護→間接保護(民間資本の活用、国は基盤整備事業主体)、移民の中核は士族・漁民から農民・商工業者へ。殖民地選定・区画測設事業、団結移住の奨励、「北海道国有未開地処分法」制定。
(2)開拓地域の拡大
明治前期:道南・道央・沿岸地域(漁村・漁業の発達・農地開拓のスタート)
明治後期~大正中期
①→道東・道北(全道に拡大)、農耕適地はほぼ開拓
②各地域の海岸部(漁村)→内陸(原野・農村) 河川の流域に沿って上流へ
(3)人口と耕地面積 〔注:1町歩=0.99ha〕
年 次 人 口 耕地(田畑)
明治10年(1877) 約19万人 約1万町歩
明治20年(1887) 約32万人 約3万町歩
明治30年(1897) 約79万人 約14万町歩
明治40年(1907) 約139万人 約43万町歩
大正 6年(1917) 約209万人 約75万町歩
(4)産業の発達(生産額)
・明治30年代半ばまでは、水産業中心(7~8割はニシン漁)
・明治30年代からは、農業開拓が急激に進んで農業中心に変化
・大正期に、農業・鉱工業生産が伸びる→第1次世界大戦の影響
◇北海道へ移住した人々
1.移民の数
人口増加の最大の特色は、移民の増加にある(特に明治20年代以後)。
・明治2年(1869)~18(1885)(1)戸数20,451戸(2)人口96,045人
・明治19年(1886)~29(1896) 87,995戸 328,563人
・明治30年(1897)~39(1906) 134,466戸 535,067人
・明治40年(1907)~大正6年(1917) 225,060戸 766,661人
・合 計 戸数 467,972戸 人口 1,726,336人
(3)出身府県別移住戸数
→明治19年~大正11年 総数 551,036戸 ①青森 ②新潟 ③秋田 ④石川 ⑤富山 ⑥宮城 ⑦岩手 ⑧山形 ⑨福井 ⑩福島 ⑪徳島 ⑫東京 ⑬岐阜 ⑭香川 ⑮広島
(4)職業別移住人口
→明治20年~大正11年 総数 1,996,412人
①農業938,618(47.0%)②漁業188,080(9.4%)③商業131,363(6.6%) ④工業105,775(5.3%)⑤雑業427,687(21.4%)⑥不詳204,890(10.3%)
2.移民の種類(分類)
(1)保護移民〔明治前期の移民保護政策〕と自由移民〔漁業移民・明治中期の農業移民〕
(2)団体(団結・集団)移民〔自作農を目指す、道庁奨励、道内各地開拓の中核〕と単独(個別)移民
(3)士族移民と平民移民
(4)屯田兵〔士族屯田と平民屯田〕
(5)農業移民と漁業移民
(6)自作移民と小作移民
(7)その他の職業の移民〔商工業・鉱山労働・自由業等〕
(8)宗教移民〔キリスト教・仏教・天理教・金光教等〕
(9)アイヌ民族の移民〔樺太アイヌ・千島アイヌ・北海道アイヌ〕
(10) 特殊な移民〔集治監の囚人(囚徒)、土工夫(タコ労働者)、外国人強制労働者(主に昭和戦中期)〕
3.移住の理由・動機とその事例
一般的理由:貧困と北海道への期待(移民の大部分)
(1)明治維新・戊辰戦争:旧会津藩士、旧徳島藩士、旧仙台藩士など
(2)士族授産政策:旧名古屋藩士、旧山口藩士、旧金沢藩士、旧荘内・山口・鳥取藩士など
(3)北方警備・開拓・士族授産=士族屯田
(4)北方警備・開拓=平民屯田
(5)府県農村の変化〔地主制・小作制の成立=中小貧農の増加、農地の不足〕:全道各地の大部分の農業移民
(6)自然災害 ①水害 ②地震 ③冷害・凶作 ④虫害
(7)公害:栃木団体→常呂郡佐呂間(足尾鉱山鉱毒事件)
(8)信仰・理想郷づくり
(9))日ロ間領土問題に伴う強制移住(アイヌ民族)
(10)和人の移住・開拓に伴う強制移住(同)
4.移住の経路と再移住
①郷里(居住地)→②最寄りの港 →③海上航路(汽船)→④道内の港(小型船へ乗継)→⑤鉄道又は徒歩
・最初の移住地に定着せず、道内で転住(再移住)する例が多い。
5.開拓期の苦労と離村
(1)困難・苦労 ①伐採・開墾の重労働、②雪と寒さ、③食糧不足、④交通の不便、⑤物価高、⑥農産物販路の不便、⑦役場が遠い、⑧医師の不足、⑨学校・寺院・娯楽施設の不備
(2)離農・転出 ①理由:苦労に耐え切れず、営農に失敗、他事業への期待
②定着率(移住30年~40年後の模範村):20~60%
③小作農:明治45(1912)年の農家戸数:総数160,344戸
自作70,177(44%)・自小作21,543(13%)・小作農68,642(43%)
6.移民と地名
団体移民の入植地の地名は郷里・出身地の地名が多い(望郷の念)。
(1)国 名:信濃開墾(札幌市厚別区)、東予(沼田町)、越後村(江別市)など
(2)府県名:広島村(北広島市)、鳥取村(釧路市)、山口村(札幌市手稲区)香川(苫前町)など
(3)郡 名:津軽団体(黒松内町ほか)、砺波(岩見沢市栗沢町)、吉野団体(名寄市ほか)など
(4)市町村名:白石村〈札幌市〉、角田村(栗山町)、十津川村(新十津川町)、長島(苫前町)、若松(せたな町北檜山区)、平(羽幌町)など
〔資料〕関秀志「北海道移住・開拓図」(『新しい道史』昭和45年)
関さんは、北海道開拓・移民について、長い間研究を続けてこられたということで、豊富な調査資料を基に、詳しく丁寧にご講義をしていただきました。
今日のお話は、「北海道150年物語」全3回の締めに相応しい内容で、感銘を深くしました。大変ありがとうございました。
以下、受講者からの感想を幾つか紹介させて頂きます。
・私は、屯田兵三世です(雨竜郡秩父別入植)が、先祖の苦労を祖父母が幼少の頃話してくれたことを思い出し、大変有意義でした。
・北海道開拓の史実をこれ程迄に詳細に受講できた事は初めてです。これを期に、自分の先祖の歴史を調べ、再認識したい。
・開拓の国内事情、移住の理由、動機等、細かく聞けて納得できました。
・私が育ったのは広島村(北広島)ですが、鳥取県より入植し稲作で、寒地農業で、冷害など大変苦労していた父や祖父母の顔が思い出されます。
・私も開拓農家の子孫なのでとても興味深く、色々知ることが出来ました。
苦労された方々には本当にご苦労様でしたと言いたい。母校の小学校は開校143年になりました。