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主催講座6「石狩歴史散歩」

第2回「厚田地区の碑と開拓の歴史を訪ねて」

2018/07/31

 7月28日(土)、主催講座6「石狩歴史散歩」の第2回「厚田地区の碑と開拓の歴史を訪ねて」を行いました。講師は、石狩市郷土研究会会長で場所請負人村山家子孫の村山耀一さん、受講者は44名でした。
今日は、バスで、聚富・望来・古潭・厚田の碑を巡る1日日程の講座です。以下概要を紹介します。
◇厚田地区の碑Ⅰ
聚富新開地
・伊達邦直主従北海道移住の地碑
平成8年10月建立 当別町長伊達寿之。元々の標は、昭和58年6月、シップ川のほとり、もとの開拓場を見渡せる位置に、カツラの木1枚板に墨書し、当別教育委員会が建立した。
戊辰戦争に敗北し朝敵となった仙台藩岩出山領主伊達邦直は1万4千石の禄高を65石に減封された。北海道開拓に志願し、明治4年邦直主従180名が厚田郡シップに入植。砂地と湿地で農業に適さないため、翌年トウベツに移りトウベツ開拓の祖となる。有珠郡(現伊達市)を開拓した伊達邦成は実弟である。
・シップ開拓場の記
碑文には、聚富に入植し当別に移る経緯について簡単な記述がある。引用されている本庄睦男の小説「石狩川」は、伊達家臣団の開拓に苦闘する物語である。
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〇聚富 旧知津狩川河口付近道路沿い
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・牛馬頭観世音等四基
厚田区聚富15番地、旧道路沿いの草むら(黄色い花の左側辺り)に隠れて大小四基の碑がある。牛馬頭観世音(牛馬の彫刻)・馬頭観世音2基・壺型碑
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・厚田油田跡 (厚田区字知津狩)
安政5年(1858)、箱館奉行所石狩詰役人荒井金助が望来海岸で油の侵出をみて油田の存在を確認。明治22年(1889)頃から手掘りされたという。大正13年日本石油㈱が試掘したが不成功。昭和6年再試掘し成功。その後11本を掘削。地質構造、背斜軸中心が海中に位置しているためこの油田開発は発展を見ずに終わる。その後も少量ではあるが昭和25年頃まで継続。輸送はドラム缶詰にして馬で運んだ。
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〇望来神社境内
・平和祈念碑  1992年(平成4)7月15日祈念碑建立遺族会
1945年(昭和20)太平洋戦争が終結を迫られる状況下の7月15日、突如米軍艦載機の襲撃を受けた。2時間にわたる反復攻撃で望来の市街地60数戸が戦火の巷と化し、尊い犠牲者11名(内7名は子供)の生命が失われた。この悲劇を風化させず、平和を願い、平和な社会の創造こそが亡き霊に対する供養であり、後世への道しるべとなるよう祈念し建立された。
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・古潭のチャシ(砦)跡
望来から古潭に向かう車窓から見える風景。赤い屋根の建物が古潭神社。その奥の台地がチャシ(砦跡)。神社の下が押琴(オショロコツ=アイヌ語で神様のお尻の意)。
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〇古潭小中学校跡地(厚田区古潭31)
・古潭小学校創設九十周年記念顕彰(左)
碑文には、オショロコツ沿岸に「安政五年和人始めて一戸を構えて越年す」「寺子屋形式にて子弟の教育を始めたる明治九年なり」「昭和二十年七月十五日の空襲に合い全焼」などとある。建立は昭和40年9月5日。
・古潭小学校開校百周年碑(右)
昭和50年(1975)9月7日建立
・古潭小中学校閉校記念碑(中)
碑文(裏面)抜粋「厚田村発祥の地古潭に明治九年開校以来 千五百有余人の有為な人材を送り出してきた」「百十五年の歴史を誇る本校の閉校にあたり古潭を心の故郷とする者の万感の思いをこめここに記念碑を建立する」平成2年3月25日
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・元古潭小中学校校舎
平成2年3月31日 閉校。望来小、望来中に統合。
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〇古潭八幡神社
・郷社八幡神社碑
題字の郷社というのは神社の社格で、明治2年開拓使は北海道を11国87郡に画定、1郡に1社の郷社を認めた。昭和21年社格制度が廃止される。これにより「郷社」の刻字がセメントで埋められた跡がある。
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・手水鉢 〈刻字〉奉納 辨天社 弘化4年(1847)2月建立
弁天社旧蔵品。願主は場所請負人仲間。寛政3年(1791)に場所請負人村山伝兵衛が鰐口を寄進していることから、それ以前と考えられる。
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・本殿内部
特別に社殿内に入れて頂いた。
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・古潭神社の神輿 
明治14年第3月吉日 細工人大阪安土町 鈴木源太郎 
平成30年(2018)5月24日文化庁は日本文化遺産に認定した「北前船寄港地・船主集落」に石狩市を認定し、古潭八幡神社の「みこし」も認定された。
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・神社境内から見る古潭・押琴の風景。下の絵図と比べてみましょう。
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・古潭烽火台絵図
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・狛犬 一対
嘉永3年(1850)建立 アツタ場所支配人萬屋長松
天保4年(1833)から嘉永5年(1852)まで当場所は萬屋増蔵が請負っていた。増蔵(近江出身)は松前城下の豪商。天保12年(1841)厚田場所の運上金は320両。
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◇厚田区の碑Ⅱ
〇三面山龍澤寺(曹洞宗) 文久元年(1861)5月創立
龍澤寺の縁起を記した古記録によると「場所請負人平田(浜屋)与三衛門、支配人佐々木源蔵が発起し、文久亥年(3年)ほぼ寺の建物が落成」とある。初代住職萩原泰能が基礎をつくる。現古潭墓地のところにあったが、明治5年冬、豪雪のため大破、同7年開拓使出張所を払下げられる。初代住職萩原泰能は明治20年僧職を辞め神職に就き、厚田神社神主となる。また、寛政3、4年と当時厚田場所請負人村山家(阿部屋)が寄進した鰐口2点も長く所蔵されていた。現在は北海道立博物館と道の駅石狩「あいろーど厚田」にある。
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・本堂入口上部の龍の彫刻は押琴にあった弁天社のものと伝えられている。
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〇厚田村發祥之地碑(古潭港)
昭和43年(1968)秋 建立 厚田村
近世、運上屋が置かれアツタ場所の拠点であったオショロコツ(押琴)・古潭地区に、明治3年1月、開拓使厚田支所が古潭村に設置され行政の中心地となる。押琴は沖に向かってソリと呼ばれる暗礁が伸び、良港とはいえないが北前船の寄港地として栄えた。
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〇厚田神社
嘉永元年(1848)五月創立。明治20年(1887)萩原泰能神官となる。明治24年(1891)7月、「豊漁記念碑」「手水鉢」建立。明治44年(1911)別狩村稲荷神社、明治45年(1912)安瀬村稲荷神社、濃昼村稲荷神社を合祀。大正5年(1916)石畳、石段を佐藤松太郎と佐藤ヨシ子夫妻が奉納。
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・撃剣道場直心館之碑(厚田神社境内)
昭和52年(1977)9月11日建立
明治25年鹿嶌神伝16代直心影流剣士牧田重勝によって撃剣道場直心館が開かれた。仝43年まで19年間、村内は勿論近村からも集り門人は123名に及んだ。その後、札幌の苗穂村に直心館を開き、新選組生き残り長倉新八とも親交を深め本道の武道繁栄に尽力した。
・厚田神社本殿と内部
今日の講座のために特別に内部を見学させて頂いた。
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・北前船絵馬
平成30年(2018)5月24日、日本遺産(北前船寄港地・船主集落)に認定された。(建立年月日不明)
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・第43代横綱吉葉山化粧まわしと明け荷
本名池田潤之輔。大正9年4月3日網元の8人兄弟の3男として熱田村安瀬で生まれる。初土俵は昭和15年(高島部屋)
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〇厚田公園
・戸田生家
昭和53年(1978)10月10日 移築建立
創価学会を築いた二代会長戸田城聖は明治33年(1900)2月11日生まれ。3歳のとき一家は石川県から厚田に移住。大正3年厚田尋常小学校を首席で卒業した。
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・厚田村百年碑
昭和43年(1968)11月建立。撰文(裏面)には、あつたの名が世に知られるようになった歴史と先人への感謝、そして次の百年への決意が記されている。
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・タイムカプセル
〈碑文〉厚田110年の一節の姿を40年後の世代へ贈ります 厚田町長住吉忠衛〈裏面〉発起1978・12・10 埋設1979・11・3
発掘2018・11・3
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・子母澤寛文学碑
昭和49年(1973)11月3日建立。小説家子母澤寛(本名梅谷松太郎)は、明治25年(1892)2月1日厚田で誕生。親子の縁薄く祖父梅谷十次郎の下で育つ。厚田小学校をおえ、中学・大学と苦学。昭和3年『新撰組始末記』、その後『新選組遺聞』『新選組物語』の「新撰組三部作」を出版。昭和37年第10回菊池寛賞授賞。洋画家三岸好太郎は異父弟。
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・平和への誓い碑
平成22年(2010)10月2日建立 裏面に由来記載
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〇恋人の聖地
平成18年(2006)8月31日建立。昭和63年(1988)12月に、厚田村当時、国の政策であった「ふるさと創生事業」の資金を利用して厚田公園設置計画の中に含まれて建てられたもの。平成17年(2005)10月合併、翌年「恋人の聖地」として全国100ケ所の観光スポットとして北海道で第1号の聖地認定を受けた。浜益区のふるさと公園に設置されているハート形のモニュメント越しに愛冠岬が見える「ラバーズ・オーシャン」と並んで人気がある。展望台からの眺望は素晴らしい。
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・厚田公園句碑群
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〇道の駅石狩「あいろーど厚田」
平成30年(2018)4月27日オープン。地域交流センター、情報、休息コーナー、イベント広場、子ども広場などが整備されている。地域の自然や歴史・食などの資源を複合的に活用し、地域の活性化を図っている。
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・内部の展示スペース
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・厚田小学校校舎
厚田区の全小中学校を統合し、2020年4月、現厚田中学校跡地に新設校が開校するため、19年度に望来小学校と統合する。また、今年8月から厚田中学校が解体工事に入るため、夏休み明けから厚田中の生徒が通うことになる。
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・厚田尋常高等小学校改築記碑(厚田小学校校庭)
明治45年(1912)6月、厚田の漁家佐藤松太郎の功績を讃えて札幌支庁長山下三次が建立した。文久3年(1863)8月10日、厚田村安瀬で誕生とされているが、南部から厚田に渡ってきた母与志が松太郎、徳太郎の2子を連れて父長左衛門の後妻となっている。明治29年(1904)小樽に合名会社佐藤商会開設。明治37年金5万円で隠居屋を建てる(現在戸田旅館として残存)。明治40年第3期北海道会議員に当選。明治43年厚田小学校新校舎落成に1万円寄贈。大正7年(1918)漁家長者番付では横綱の地位を占めた。大正7年11月スペイン風邪で他界、55歳。
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・厚田中学校校舎
2020年4月、厚田区全小中学校を統合して、義務教育学校として新校舎を建設するため、今年8月から解体工事が行われる。校舎の見納めとなる。
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・開茫有楽館蔵
明治21年(1888)佐藤辨蔵が築いた有楽館の蔵が残っている。
佐藤辨蔵は天保元年(1830)津軽温湯村に生まれる。安政4年(1855)厚田に転住。寺子屋、教育所創設、剣道場開設、学校、役場、病院、神社、寺院等に関わり寄付多数、通行取扱、駅逓取扱、村総代、学務委員等の要職多数。
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〇正眼寺 佐藤松太郎墓碑
・正眼寺 (曹洞宗)
現住職(8代目)のお話を頂く。創立は文久2年(1862)8月。本堂は明治28年10月5日に改築完成。材料は北前船で運んだ。本堂には佐藤松太郎家の仏壇が収納されている。
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・佐藤家の墓碑
佐藤家の墓碑は、大きな台座の上に3基の墓碑と4基の燈籠がある。お骨が納められているのは中央の「佐藤家の墓」のみで、左右の2基は墓誌の役割を持つ。明治・大正期において鰊の網元で実業家、道会議員として活躍した佐藤松太郎の功績にふさわしい立派な一族の墓碑である。家紋「源氏車」 屋号「山丸」
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 快晴快風、猛暑の中で歴史遺産と碑を巡り講義を受ける中で、地域を拓き繁栄の時代を築いた人々の生きざまを想起し、感動を覚える一日でした。熱く語られた講師の村山さん、熱心に参加された受講者の皆さまお疲れ様でございました。

 受講者の皆さまからの感想一部を要約して紹介します。
「我が町石狩の歴史の古さに感動!!村山先生ますます見聞を深め案内と指導をお願いいたします」「全体の構成、解説スポットの設定、村山先生のユーモア交えた的確な説明、神社及び正眼寺では住職さんに登場頂くなど、また、内容充実の資料集と素晴らしいツアーでした。パネル類も説明を深く知る為に効果的でした。準備のご苦労に頭が下がります」「江戸時代、士農工商の身分制度の社会環境の時代、場所請負人の多大な商業権利を松前藩から取得した経緯は?また当時の年間収益はいくら位あり、松前藩に上納金はいくら納めていたのだろうか」「歴史散歩に出席させて頂き、幅広い地区を古の歴史を大変詳しく調べ資料を通して説明、現地での確認等大変素晴らしい経験をさせて頂きました。村山講師はじめスタッフ、運営委員の皆さま御苦労様でした。感謝申し上げます」「継続してください。何度目かの受講者と新しい受講者用と年に1・2度機会があると良いのでは。村山先生の講座は何度も受講させて頂いています。その都度新鮮な観点と見るべきポイント、再度外せない箇所があり、学の多さ、充実した一日になります」「いつもながら詳しく分かり易い資料を準備頂き有難うございます。次はどちらをご案内いただけるか楽しみです。入会1年目、来年度もぜひ続けてくださいお願いします」




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