1月23日(木)まちの先生企画講座4「北海道の歴代長官」の第2回「三県・北海道庁の設置と長官の足跡・業績」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、武石詔吾さん、受講者は36名でした。
本日のお話の内容は
1)三県の設置と県令の足跡と業績
2)北海道庁の設置と特徴
3)北海道庁の歴代長官の足跡と業績
の3つです。
1)三県・一局時代(明治15年~明治19年)
三県:開拓使時の札幌・函館・根室出張所を中心とした地方行政府として設置、行政長は県令(他県と同じ)、開拓使事業は、農商務省北海道事業管理局で(局長 安田定則)。
◇札幌県令 調所 広丈(明治15,2~19,1鹿児島出身)
箱館戦争に参戦、明治5年に開拓使で民事、教育担当。札幌農学校初代校長。豊平川築堤、農業仮博覧会開催(農業振興に力を入れる)
◇函館県令 時任為基(明治15,2~19,1鹿児島出身)
開拓使屯田課、北海道兵備設置之建議⇒屯田兵制度創設につながる。
函館のインフラ整備、児童福祉事業、貧民教育施設。
◇根室県令 湯地定基(明治15,2~19,1、鹿児島出身)
米国留学、ケプロンの通訳、七重勧業試験場長、洋式農業導入。道東の牧畜、農水産業の発展をはかる。根室市街地インフラ整備、根室市定基町は、時任の名から。
2)三県一局の廃止
理由:各県の利権争い、役人増で県費の負担増、増税、北海道事業管理局との対立
金子堅太郎(ハーバード大学留学)―三県を巡視して復命書提出
復命書の内容
・三県の廃止
・道路の開削―囚人の使役
・開拓事業―札幌農学校の廃止、葡萄酒製造の中止
◇内閣制度と北海道
明治18年12月内閣制度発足、初代内閣総理大臣に伊藤博文が就任。
北海道―三県・北海道事業管理局を廃止して「北海道殖民局」⇒井上薫が反対⇒「北海道庁」となる
※殖民とは:新しく土地を開くための本国(中央政府)と従属関係にある土地へ移住する民
3)北海道庁
・地方行政を担う役所。北海道庁の長は、長官(他府県は知事)
・屯田兵、国有未開地の処分権、集治監
・明治21年に、旧北海道本庁舎(通称赤レンガ庁舎)竣工
◇初代長官 岩村通俊(明治19,1~21,6)
■業績
・開拓方針の転換
「貧民を植えずして豊民を植えん」、開拓を進めるための基礎整備は行うが、その後の開拓・移民等は、資本家等に委ねる⇒直接保護から間接保護へ
・植民地の撰定⇒北海道土地払下規則
・内陸部の開拓のインフラ整備⇒道路交通網等の整備
道路の開削⇒囚人使役(囚人道路は、明治20年~24年の道路開削の55%)
中央道⇒明治24年5月~12月、空知、網走集治監の囚人1100人を使役(240人死亡、報告の義務なし)して、3間幅の道路160㎞が完成。
・官営工場の民間払い下げ(民間企業育成)
明治19年札幌麦酒醸造場⇒大倉喜八郎に払い下げ(大倉組麦酒醸造場)⇒渋沢栄一他が共同経営⇒明治39年大日本麦酒KK
・岩村像
札幌大通西10丁目(昭和8年建立)、札幌市円山公園(昭和43年再建)、旭川常盤公園(平成2年再建)
※開拓使時の岩村の活動
・島義勇の案に基づき札幌の本格的なまちづくり⇒通りに樺戸通、浜益通など全道の国郡名をつけた⇒明治14年に現在の条丁目に変わった。
・明治4年、すすきのに遊郭を作った。
・明治5年3月御用火事(資金を貸し出したにもかかわらず一向に家が建たないことへの対策として官の草小屋に火を点けた。民間の草小屋が燃えたとの説もある)
・上川の開発を重視
◇第2代長官 永山武四郎(明治21,6~明治24,6、鹿児島出身)
■業績
・屯田兵制度の創設・拡充
明治21年屯田兵20中隊の増殖計画(明治23年以降は、屯田兵制度に関わる事項は陸軍省で)、明治23年「屯田兵召募規定制定」(募集を平民まで広げて防衛・警備から開拓事業重視へ)
※屯田兵制度(我が国軍事史上、特異な制度)
明治7年~明治37年の30年間、兵村37、戸数7,333、総人数39,911人。
役割は、北方地域の防衛、北海道開拓の先駆的役割、今日の北海道の地域形成、移民への農業指導、教育、自治等の指導か。
◇第4代長官 北垣国道(明治25,6~明治29,4、鳥取県出身)
■業績
・「北海道開拓意見書(北垣12年計画)」
・御料地を官有地に編入
明治23年、北海道の御料地は200万haで、北海道全面積の20%、全国の御料地の3分の2を占める。
・明治25年、水稲奨励―稲作の基盤を作った。
※北海道の稲作
・元禄5年、旧大野町の野田左衛門が赤毛を収穫
・江戸末期、篠路の開祖早山清太郎が道南地域以外で初の水稲栽培
・明治6年、島松の中山久蔵が赤毛を作付け
・酒匂常明
東京帝国大学教授兼農商務省技師、北海道庁財務部長で水稲研究の第一人者。亀田稲作試験所、札幌農学校水田。
・水田直播種まき器(たこあし)―明治38年、屯田兵家族の末武保次郎が考案、黒田梅太郎が特許。
・温床
昭和10年代~
・米作の北進
明治35年、北海道土功組合法⇒水田の発展に寄与。明治33年、北海道拓殖銀行⇒北海道拓殖事業の資本。
・米の栽培面積と収穫量
昭和5年―栽培面積は20万ha弱、収穫は約50万トンだが気候により年ごとに乱高下している。
以上が本日のお話でしたが、資料に基づいた分かりやすいものでした。
最後に、受講者のコメントをいくつかご紹介します。
「北海道開拓の歴史、時系列で解説して頂き、よくわかりました。ありがとうございました」
「北海道開拓の様子を大きな視点からとらえての講義で大変勉強になりました。裏話もおもしろく聞かせていただきました。ありがとうございます。次回が楽しみです」
「ためになるお話でとっても良かったです。充実したお話でした」
「コンパクトにポイントを押さえた大変わかりやすいお話でした。激動の北海道の歴史を長官にクローズアップして読み解いていく・・このシリーズ、大変おもしろく興味深く、身近に感じられる講座でした。第3回も楽しみです!」
「資料が充実していてわかりやすい」