1月30日(木)まちの先生企画講座4「北海道の歴代長官」の第3回「戦後の知事と歴代長官等の点描」を花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、武石詔吾さん、受講者は32名でした。
本日のお話は第5代北海道庁長官 原保太郎から始まりました。
1.第5代長官 原保太郎(明治29,4~30,9、京都府出身)
◇明治32年 北海道区制公布
札幌、函館、小樽に区制施行(※札幌区⇒大正11年に札幌市に)
◇明治40年(1907) 北海道国有林未開地処分法
開墾地、牧畜地等を無償で貸し出し、すべて成功後、無償で附与⇒開墾地150万坪、牧畜地等250万坪を成功期間10年、20年間地租、地方税免除等の条件⇒資本家等に広大な土地が払下げられた。
例.
蜂須賀茂韶(もちあき、侯爵)―雨龍他五ケ村、6249(田畑3874)町歩
徳川義親(侯爵)―八雲、2385(2000)町歩
等々
■移民の推移
・農業移民が50%以上
・出身地は東北、北陸で70%(松方正義のデフレ政策の影響による本州農民の困窮)
・寒冷、過酷な労働、農業技術の未熟さ
・寒冷地対応種子に対する研究不足
・害虫対策の研究不足
・農作物の販売路の未発達
・食料不足、交通の不便さ
・医療、娯楽の不足等
以上の様な悪条件下で、自作民は営農に失敗して離農や転出⇒農場や地主の小作人に。自作の比率は、明治29年60数%、大正9年40数%、昭和9年30数%。
■華族組合農場
・三条実朝を中心
・明治22年に雨龍原野5万町歩(当時の北海道総耕地面積と同等)を10年計画で。
・開墾の設計、農場管理人、農場内の道路等は官費で行い、増毛道路や農業内労働は囚人を使役。外国製の農具や輸送のための小型蒸気船
結果は、失敗し、蜂須賀農場(小作人1000人で日本最大の農場)等に分散。
※華族組合農場の管理人は、町村金弥(札幌農学校2期生、町村牧場創設の町村敬貴、北海道知事町村金吾の父親)
■北海道の工業について
・明治40年代に本州資本の工場進出―王子製紙苫小牧工場(渋沢栄一)や日本製鋼輪西製鉄所など
・生産額産業別構成比の変化
明治32年―食料品65.3%、紡織13.8%、木材木製品10.1%
大正3年―食料品22.0%、化学29.5%、木材・木製品24.4%、機械13.4%、金属6.9%
※地場産業の食料品生産額が減少して、本州資本の工業生産額が増加
・財閥の進出
明治39年の鉄道国有法制定により、三井・三菱・住友等財閥が石炭等への進出。北炭は、三井の傘下へ。
※農業は地主が押さえ、鉱工業は、財閥の傘下に入った
2.第8代長官 園田安賢(明治31,11~39,12、鹿児島県出身、戦前の長官の中で最も任期が長い)
◇拓殖10年計画⇒国費から地方費へ
◇拓殖銀行法の発令
◇地方自治の発展に努めた
・明治33年帝国議会議員に札幌・函館・小樽三区から1名を選出
・明治34年、第1回道議会議員選挙
選挙で選出、地方費の予算審議を行うようになった⇒地方自治の発展
■「北海道旧土人保護法」の制定
・明治5年に壬申戸籍が作られアイヌも編入された
・明治11年に開拓使は、アイヌを旧土人として和人と区別した
・明治32年、「北海道旧土人保護法」制定
アイヌを保護の対象として、農業は5町歩、教育は土人学校を作り分離教育をする等同化政策を行った。
※平成9年(1997)の「アイヌ文化振興法」で旧土人と云う呼称が98年振りで撤廃された
※その後「アイヌ施策推進法」でアイヌを先住民族として認めるが、権利までは認めていない
3.第14代長官 俵孫一(大正4,8~8,4、島根県出身)
◇開道50年記念事業
・大正7年8月1日~9月19日の50日間
・140万人
・会場は、中島公園・工業館・小樽水産工場
・建物棟59、出品数2万点(道外1万6千点)
◇北海道史編纂
※すすきの遊郭⇒白石移転(大正9年)
■北海道帝国大学昇格(従来は東北大学農科大学)
■北海道の人口数推移
明治6年―6万人、大正7年―235万人、昭和43年―518万人、平成30年―528万人
※ここ50年は、1.07倍とほとんど増えていない
■明治42年と昭和10年の産業別生産高比較
明治42年の生産高―農業、工業、水産業、砿業、林業の順
昭和10年の生産高―工業、農業、水産業、砿業、林業の順になり工業が大きく伸びて、産業構造が変わった事が分る
4.第17代長官 土岐嘉平(大正12,9~14,9、和歌山県出身)
■乳製品輸入関税撤廃
対策:北海道製酪販売組合連合会(酪連―酪農民のための酪農民が経営する組合、雪印乳業の前身)の設立
5.第21代長官 佐上信一(昭和6,10~11,4、広島県出身)
■凶作・水害、函館大火等が発生
■農耕適地、水田拡大
◇根室原野農業開拓5ヶ年計画
酪農を奨励⇒酪農専業地帯の基盤作り―根釧地区のパイロットファーム事業。
世界銀行からの融資。
6.第23代長官 石黒英彦(昭和12,6~13,12、広島県出身)
◇辺地の開拓地、農村等巡視
◇開道70周年事業
昭和13年開拓神社創建
■幻の冬季オリンピック札幌大会
昭和15年第5回冬季オリンピック札幌大会
2月3日~14日間
戦時体制下で返上
7.第31代長官 岡田包義(昭和22,2~22,4、岡山県出身)
最後の官撰長官
8.第32代長官・初代知事 田中敏文(長官 昭和22,4~22,5、知事 昭和22,5~34,4、青森県出身)
■昭和22年4月 選挙で当選、第32代北海道庁長官の辞令を内閣総理大臣から受ける
■昭和22年5月 地方自治法施行⇒官選の長官から民(公)選の知事へ
9.戦後の北海道知事一覧
10.戦前の歴代長官等の点描
■出身別
鹿児島10人(明治年代16人中8人)、佐賀4人、京都・高知・岡山・静岡・新潟・長野・広島・東京が各2人、鳥取・熊本・福井・島根・山口・福岡・宮崎・青森・和歌山が各1人
■在任期間
歴代39人中、6ヶ月未満20%、2年未満51%、3年未満74%と任期が短期間の長官も多い。
11.まとめ
戦前の歴代行政長の業績である交通網の基盤作り、米作・酪農等北海道の基幹産業の基盤作り、行政区画の整備などが今日の北海道の行政、産業等の基盤を形成した。
但し、産業構造を全国と比べると、製造業の弱さがネックとなっている。
武石さんは最後に「3回にわたり北海道の歴代長官の足跡・業績についてお話をさせて頂きましたが、これを機会にみなさまがこれまで以上に北海道の歴史について関心を持って頂ければ嬉しいです」と結ばれました。武石さんの豊富な知識に基づく詳細な説明は、北海道の歴史の流れを改めて考えてみる良いきっかけになると思います。
最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
「北海道の歴史的人物が良くわかりました。聞いたことのある人物が出てくると親しみを感じました。大変ためになる事をおしえて頂き大変ありがとうございました」
「父が静岡から入植したのが昭和3年頃なので第19代長官時代だった。十勝の原野を開拓した父母のお陰で今の私がある事に改めて感謝の思いが湧いて来た。今回の講義は、昔を再認識させて頂いたのでとても良かったです」
「ほとんど知らないことばかりで目からウロコの講義内容でした。大変良いテーマ・内容だったと思います。武石氏に感謝です」
「明治以降の北海度開拓について分かっているつもりだったが、色々知らない事を教えて頂き面白かった」
「昭和32年に道庁に入り、田中敏文以降第5代堀知事迄41年間勤めた。特に赤レンガ2階事務所の時、知事室が向かいのため町村知事の印象が大きい。又役付きになってから横道知事、堀知事時代の知事勉強会での例席があり記憶に残ることが多かった。大変なつかしい時代の話し、ありがとうございました」
「北海道のことを"外地"と祖父が言っていた理由がわかった気がする」
「道民ではあったが、あまり知らなかった事であったのでよかった」
「大変分かりやすく楽しく学べました。聞き応え大!ありがとうございました」