令和3年10月23日(土)、主催講座4「石狩歴史散歩~花畔地区、北生振・高岡地区」の第2回「北生振・高岡地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」を行いました。講師は石狩市郷土研究会会長で場所請負人村山家子孫の村山耀一さん、受講者は16名でした。
1回目に引き続きコロナ禍で講座開催が延期され、当初日程を変更し2か月ぶりのバス学習でした。当日は受付時は雨で予想も芳しくありませんでしたが、出発時には青空が広がり最後まで雨に当たらず研修を終えることが出来ました。前回に引き続き、郷土史研究会のまとめた校歌集CDを校歌解説を受けながら拝聴することができました。
アイヌ語のオヤフル(次の丘又は川尻の丘)に由来する生振村は明治4年に宮城県・山形県の団体が入植したが、石狩川低地帯で度重なる洪水に悩まされ、蛇行する石狩川を直線化する生振捷水路により分断された北生振・高岡地区の歴史は、農業開拓の歴史であり残された碑にも先祖の想いがしっかりと残されており、鮭のマチとして知られる石狩とは別の面を知ることができた学習会でした。
講座の概要を紹介します。
本日のルートと訪問先です。
いしかり市民カレッジ講座 本日の行程
~「北生振・高岡地区の碑と歴史の痕跡を訪ねて」~
8時50分 バス乗車(あいさつ)
9時00分~ 公民館出発
9時15分~ 石狩八幡小学校
9時18分~ 生北神社・旧発泉小跡
「生北神社」「開田の碑」「牛馬頭記念碑」「水屋記念碑」「佐々木トメ老婆紀年碑」「地神塔」「御神燈」{狛犬}「正一位稲荷大明神」「旧八泉小学校」
9時38分~ 北生振揚水機場・開田水魂の碑
「開田水魂の碑」
9時55分~ 旧美登位小学校周辺
「紅葉山砂丘と美登位」「旧美登位小学校」「郷友の碑」「故後藤啓蔵の碑」「美登位神社」
10時15分~ いしかり調整池
10時35分~ 豊穣無窮の碑
10時40分~ 高岡神社・旧高岡小学校周辺
トイレタイム(石狩市高岡ふれあいセンター)
「高岡神社」「高岡開基百年碑」「開基三十年記念碑」「馬頭観世音菩薩」「牛馬観世音」「高岡小学校開(閉)校記念碑」「道究」(高岡小中学校跡地)
11時25分~ 地藏沢
「地蔵尊」「馬頭観世音」「地蔵沢記念碑」
11時45分 高陵山 光明寺
12時05分 5万坪
「地蔵尊」「馬頭観世音」「馬頭観世音大菩薩」
12時30分頃 公民館に戻る
お疲れ様でした。 解散
・出発前に村山さんはルート図・添付資料で本日廻る北生振・高岡地区の地理的、歴史的イメージについて説明された。①明治4年に開拓使判官岩村通俊が「生振村」と命名、開拓が始まり宮城県・山形県の団体が入植した。②生振捷水路完成により生振村が分断された。
・9:00予定通り公民館を出発し、別紙行程表に沿って行動しました。
雨の予報でバス車内での案内も覚悟していたが、雨が上がり青空の天気に「皆さんの行いがよろしいようで」うれしい挨拶があり、参加者の心も弾んだ出発となりました。いつものように詳しい資料が用意されていました。
①石狩川を渡って八幡町に入り、車内から昨年から統合開校した「石狩八幡小学校」を眺めました。
②生北神社・旧発泉小学校跡
・旧発泉小学校~植民地区画がされた後の明治35年に学校ができた。区画の8線と8号の交差する場所に創立されたが、数字の8線はなじまないので発泉小学校と名前がついた。
ここで、校歌の紹介と解説後、CDで拝聴した。校歌には広い牧場に牛の群れ、赤いサイロ、アイヌが住んだ、オヤフロ、さびしい野原、揚水機、黄金色ます田んぼ道、遠くで海が、などのフレーズは当時の情景が目に浮かびます。
この後は生北神社境内に置かれている石碑について解説された。
・地神塔はじしんさんとも呼ばれ五角柱型の石塔で石に刻まれている五神はいずれも農業に関する神で神社の遠い所の人が近くに建てたもの。
・牛頭馬頭記念碑は点在していた馬頭・牛観音を集めて平成14年に建立。馬は農耕馬として大事だったが戦争で徴用され、牛は乳、たい肥のため農家では1,2頭飼っていた。
・開田の碑~この地は砂地・泥炭地で水田には不向きであったが、昭和22年2月1日、雪中の造田工事に着手し、5月13日工事完成し、石狩川から揚水し念願の水田作付けした。
・水屋記念碑~昭和29年からの開拓地への入植が始まったが、水は茶褐色の鉄分多いカナケ水で飲料水確保に大変苦労した。昭和44年の給水工事の一部完成から平成13年の広域水道の完成見込みをもって平成14年建立した。
・この地の泥炭層は深さ2Mもあり、八幡・本町地区の泥炭採掘場となっていた。
・佐々木トメ老婆紀年碑~産婆さんの慰霊碑は珍しく、地域で「子育て観音」と呼ばれている。トメは明治39年八線に移住し、開拓の傍ら、生振・八幡地域で産婆として活躍し、その技術や心得を地域の女性に伝え、以降お産の事故が減少した。トメ生存中に子育て観音を写した紀年碑を建てたのは貴重な存在の産婆の活躍を地域の人々が讃え感謝の気持ちを現したもの。
紀年碑
・正一位稲荷大明神~正面からは生垣の陰で案内がなければ気が付かない場所にあった。狐は古名のケツ(鳴き声から)、キツキツ、ケツケツに接尾語のネがついたものです。またネ(禰)はみたまを意味します。
・そのほか神社境内には鳥居、手水鉢、御神燈、狛犬がありました。
③北生振揚水機場・開田水魂の碑
戦後の道営・国営かんがい排水事業により石狩町、当別町を受益地として昭和31年に開田されたが、石狩川から塩水が遡上して度々取水停止が余儀なくされ水稲栽培のも影響を及ぼしたことから、平成3年から真水を供給するため「いしかり調整池」新設、北生振揚水機場の再新、北6号排水路の改修を総合的に実施し平成19年に国営かんがい排水事業は完成した。
④旧美登位小学校周辺
・美登位地区は紅葉山砂丘の東端に位置し周りは低地帯。明治以降は開拓が行われた純農村地帯だが大正7年から昭和6年にかけての生振捷水路の大工事により分断された。美登位小学校は明治33年開校したが平成元年89年の歴史を閉じた。現在は公共施設として保存されている。
「郷友の碑」の前で校歌解説とCD拝聴。石狩川、黄金の穂波、砂山、風はげしくなどの言葉から地域の情景を知ることができました。
⑤いしかり調整池 美登位からの帰路、北生振11線北3号の後藤農場内に建つ故後藤啓蔵之碑を車窓より説明を受けた後、北生振揚水機場の奥にある全周1.5キロある調整地を見学。バードウォッチングの場所としても有名。 北10線北7号の道路わきに「開拓記念碑」があった。この地は戦後開拓で開墾されたが、泥炭湿地に加え冷水害発生の劣悪な立地条件の中で屈することなく今日の沃地を築き上げたことが記されている。この地には厚田、当別、島牧、北見、石狩町内から入植した。
⑥豊穣無窮の碑~八幡町市街地のはずれ、生振北9線の立地の良いところに高さ5m超の立派な石碑(北海道知事町村金吾書)が建っている。石狩の石碑としては最大級。農業者は開拓の苦労を石碑として残しているが、漁業者にはほとんどないことも農と漁の違いと指摘された。
・高岡丘陵への入り口辺りに建つ農家を示し、資料の表紙にある古い農家の写真の小川家はこのあたりにあった。また、五の沢油田からのガソリンカーもここを経由し八幡、来札へ通っていた。
⑦高岡神社・旧高岡小学校周辺
・トイレタイム兼ねて旧高岡小学校跡のふれあいセンタ-による。
・高岡神社は小学校跡地のグランドに建ち、境内には「高岡神社標柱」「牛馬観世音・馬頭観世音菩薩」「開拓30周年記念碑」「高岡開基百年碑」(巨大な石の碑で農業者の意気込みを感じる)等がある。
小中学校跡地には「校門」「高岡小中学校開(閉)校記念碑」「道究」(高岡小学校閉校記念碑)があり、ここで校歌を聴く。歌詞には「阿蘇岩」「石狩の流れ」「日本海」とあり花川は手稲山が多いが阿蘇岩山が身近な山であることがわかる。
⑧地蔵沢の碑~ここには「地蔵尊」「馬頭観世音」「地蔵沢記念碑」の三つの碑が建っていた。
ここは明治26年に村上幸四郎が水稲「赤毛種」3反を栽培したところでもあり、伊達邦直主従が当別に至る経由地とも推察される。
⑨高陵山 光明寺~車窓から説明されたが、境内では縁日のような催しが行われていた。昭和18年から二代坊守西井リャウが「日曜学校」を開設、農繁期には季節保育所として本堂を開放した。
地域にとっては大変ありがたい存在だった。
また、高岡地区にある3カ所の「馬頭講」の法要も光明寺の住職が勤めている。
⑩五万坪の碑4基~地名としてこの地帯を高岡5万坪といい、植民地区画に当てはまらないが、ここに4基の碑がまとめられている。
「地蔵尊」2基、「馬頭観世音」「馬頭観世音大菩薩」
以上で予定した行程を雨にも当たらず無事終了することが出来ました。
受講者の声を紹介します。
・北生振・高岡の歴史を十分納得しうる勉強できました。開拓者のご苦労と開拓の知恵その他は現在にも生きると思います。前回に合わせて石狩市について理解が深まった。毎回参加させてもらていますが、いつも新しい発見があります。今回参加できて幸運でした。石狩市民として約40年ほど住んでいますが、なかなか今日回った処まで来れませんでした。今後も期待したいと思います。日頃あまりなじみのない北生振・高岡地区にもこれほどたくさんの見どころがあることを知り、大変ありがたかったです。配布された資料のボリュームと内容の充実さは感動的で、また村山先生の詳しくもユーモアを交えた解説が素晴らしかったです。開拓の歴史を知ることができた。石狩の歴史散歩、やはりすばらしい内容の濃い半日でした。同じ礎、記念物、建物を見ても常に新しい視点で新鮮さを感じる解説は見事な事!!村山先生のお話にはいつも感動してしまいます。石狩の歴史を学ぶ絶好の機会です。大切に継続していただきたいと思います。