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まちの先生企画講座4「銅像を通して北海道開拓の先達者を点描する」

第1回「『明治・大正・昭和』戦前編~その運命を辿る~」

2022/01/24

 令和4年最初の講座、まちの先生企画講座4「銅像を通して北海道開拓の先達者を点描する」の第1回「『明治・大正・昭和』戦前編~その運命を辿る~」を石狩市花川北コミュニティセンターで行いました。講師は、郷土史研究家の武石詔吾さん、受講者は27名でした。
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以下は講座の概要です。

1.「銅像」概説
「銅像」とは
人物、動物等を模して銅で作られた像や胸像、彫刻のこと。
建立の目的
ある分野での業績を讃え後世に伝えること。
2.銅像が消えた
昭和16年に武器生産に必要な官民所有の金属類を回収するための勅令「金属回収令」が公布(昭和18年改定)。
これにより、銅像やお寺の鐘、家庭用品が供出された。
※一口メモ
供出時に行われた回顧顕彰壮行式(昭和18年)。出征するのと同じ処遇
黒田清隆、永山武四郎、岩村通俊の銅像を、白布で巻き赤いタスキを掛け回顧顕彰した。
3.明治時代の銅像
1)黒田清隆(1840年生まれ、鹿児島県出身)
明治2年~明治15年まで開拓使に係る(次官・長官を歴任)、後に第2代内閣総理大臣。強力なリーダーシップで北海道開拓を計画(今日の北海道の基盤を形成)。開拓予算は、明治5年~明治15年の10年間で1千万円⇒これは、当時の1年分の国家予算に相当。
※一口メモ
開拓使の人材は、薩摩人が多く、云わば黒田王国、黒田の開拓使であった。
銅像建立:明治36年(道内初)、札幌大通西7丁目(制作者 久野 徳次郎)
再建:昭和42年(制作者 雨宮 治郎)、札幌大通西10丁目
北海道百年を記念して「北海道開拓功労者顕彰像建立期成会」が建立。
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2)東郷平八郎(1849年、鹿児島県、海軍大将 元帥)と大山巌(1842年、鹿児島県、陸軍大将 元帥)
両者は日露戦争の英雄。
建立:いずれも明治39年、七飯町大沼
戦後再建されず
※一口メモ
・大山の夫人は、開拓使派遣留学生の山川捨松
・山川捨松と共に留学した津田梅子は、2024年から5,000円札の顔に
・どうして、大沼に東郷、大山の像が?
博徒の宮川勇が実業家へ転身⇒大沼を観光地にすると云う悲願を抱く。明治36年旅館「紅葉館」を建設。「東郷・大山」像建立発起人会⇒日露戦争の英雄による大沼の知名度アップを目指す。
※一口メモ
・明治36年、大沼駅開業
・大正4年、大沼が日本新三景に選ばれる(他のふたつは耶馬渓、三保の松原)
3)大迫尚敏(1844年生まれ、鹿児島県出身)
明治33年、第7師団第2代師団長。中将で日露戦争に出征、帰還後大将となる。学習院長に就任。
銅像建立:明治40、年札幌中島公園(制作者 島 佐兵衛)。戦後に再建されず。
4)永山武四郎(1837年生まれ、鹿児島県出身)
屯田兵制度創設、拡充。明治21年、北海道庁第2代長官。明治29年、第7師団初代師団長。
銅像建立:明治42年、札幌大通3丁目(制作者 本山 白雲)
再建:昭和42年、旭川市常盤公園(制作者 北村 西望⦅長崎平和祈念像⦆)
北海道百年を記念して「北海道開拓功労者顕彰像建立期成会」が建立。
4.大正時代の銅像
1)ウィリアム・S・クラーク(1826年生まれ、アメリカ)
マサチューセッツ州立農科大学学長。札幌農学校初代教頭。札幌農学校の基本構想を企画。人間教育・人格教育⇒フロンティアスピリット 「少年よ 大志を 抱け」⇒開拓精神。
銅像建立:大正15年(クラーク生誕100年、開校50周年記念)、北海道帝国大学構内(制作者 田嶼 碩朗)
再建:昭和23年、北海道大学構内(制作者 加藤 顕清)⇒戦後の道内最初の銅像
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5. 昭和時代の銅像
1)広井勇(1862年生まれ、高知県出身)港湾工学の父
札幌農学校2期生。小樽港北防波堤建設(明治41年完成、1289m)。平成11年11月に土木遺産に指定される。豊平橋の設計。
銅像建立:昭和4年、小樽公園(制作者 水谷 鐡也)
再建:昭和28年、小樽運河公園(製作者 中野 五一)
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2)伊藤長右衛門(1875年生まれ、福井県出身)
東京帝国大学で広井勇の教え子。小樽港南防波堤建設(大正10年、932m)。ケーソン進水方式の考案者。
銅像建立:昭和16年、小樽公園(制作者 田嶼 碩朗)
再建:昭和28年、小樽運河公園(制作者 中野 五一)
※北・南防波堤の完成により小樽港の整備が進み、北のウォール街と呼ばれるほどの小樽市の発展につながった
3)佐藤昌介(1856年生まれ、岩手県出身)
札幌農学校一期生。校長ー学長ー総長等、40余年大学の充実に尽力。北海道大学の育ての親。人材育成に力を注ぐ。
※一口メモ
一期生24人のうち13人しか卒業できないほど厳しいものだった。
銅像建立:昭和7年、北海道帝国大学本部前(制作者 加藤 顕清)
再建:昭和27年、北海道大学本部前(制作者 加藤 顕清)
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4)岩村通俊(1840年生まれ、高知県宿毛市出身)
・開拓方針の大変換
直接保護から間接保護へ(内地資本の導入⇒移民の増加)
・道路開削、殖民地選定事業、民間企業の育成
・開拓使時代
札幌の町づくり、すすきの遊郭、御用火事、上川開発
■銅像建立:昭和8年、札幌大通西10丁目(制作者 本山 白雲)
■再建:昭和42年、札幌円山公園
北海道百年を記念「北海道開拓功労者顕彰像建立期成会」建立(制作者 佐藤 忠良)
旭川市の岩村通俊像
上川方面の開発。北京構想(明治15年)
建立:昭和13年
再建:昭和26年、常盤公園。
5)結社移民
①赤心社
明治14年、キリスト教徒を中心として浦河郡に入植した移民集団。
・鈴木清:赤心社創設社長
・西忠義:浦川支庁長、日高振興に尽力
・澤茂吉:日高産牛馬連合会創設、馬産地の基盤形成
いずれも日高地方の経済・文化等の振興をはかった
建立年:昭和10年(上記3人の個々の像)、浦河町荻伏支所前(制作者 本郷 新)
再建年:昭和27年、浦河町荻伏支所前(荻伏村70周年記念、制作者 本郷 新)
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②晩成社:依田勉三(1853年生まれ、静岡県出身)
十勝開拓の祖
依田の「開拓のはじめは豚とひとつなべ」と云う言葉と入植が13戸だったことに因んで、六花亭では「ひとつなべ」「十三戸」と云う名前の菓子を販売している。
建立年:昭和16年、帯広神社(制作者 田嶼 碩朗)
再建:昭和26年、帯広中島公園(制作者 本郷 新)
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6)撤去されなかった唯一の像
木下成太郎(しげたろう)(1865年生まれ、兵庫県出身)
明治20年自由民権運動で東京三里外追放で室蘭へ。
・厚岸漁業:海藻からヨー素(消毒薬)
・厚岸町議、衆議院議員。武蔵野美術大学、大東文化大学等創設
建立年:昭和16年、札幌中島公園(制作者 朝倉 文夫)
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 以上が講座のあらましですが、讃えられるほどの功績を残した人々の銅像でも戦前のものはほとんどが戦争の為に撤去・解体の憂き目にあい、不動と思われる銅像も歴史の動きに無縁ではなかった事がよくわかりました。また、それぞれの人物の功績が簡潔にまとめられていて理解しやすく、合間合間に話された歴史一口メモも興味深いものでした。
 
 最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
「北海道開拓に貢献した史実に基づき具体的な業績を理解する上で大変参考になりました」
「大変興味深いお話でした。一口メモが加わって一層面白さがましました」
「コロナ禍で講座があるかどうか心配していましたが、お話を聞くことができて良かったと思います。多くの偉人が北海道開拓に大きな力になって下さった人達で、銅像になっていたわけですが、先の大戦で取りこわされてその後建立されなかった方々がいたことは残念に思いました。いつか像のある所を訪ねてみたいと思いました」
「①講座が資料によって進められ理解しやすかった②マスクをしているので声がこもり聞きづらいのではずしてついたてで対応しては?③マスクをしていると顔の全体像がわからないので紹介時だけははずしては?」
「さすがにコンパクトにまとめられてわかりやすいお話でした。せめて今日のお話の銅像を見てまわりたいと思いました(まずは札幌から~旭川・小樽・帯広と)。再度歴史をひもときながら」
「2回、3回目の講座が楽しみです。何気ない銅像にも開拓の歴史を学ぶ事が出来有難うございます。(※一口メモを資料にして欲しい)」





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