12月9日(金)、まちの先生企画講座5「生振の今昔話し」の第3回「市職員時代の私の話し」を石狩市花川北コミュニテセンターで開催しました。講師は、春光寺住職の前川英信さん、受講者は31名でした。
前川さんは「皆さんこんにちは、この講座も3回目となりましたが、本日は、私が市の職員時代に関わった色々な事例をご紹介した後、生振に対する私の思いをお話しします」と言って講座を始められました。
以下はそのお話の概要です。
◇出身校の生振小学校について
・昭和28年生振小中学校開校
当時は小学校と中学校が同じ建物に同居していた。
・昭和32年 前川さんが小学校1年修了時の集合写真
当時は1学年1クラスで1学年は52名(現在は全学年78名で、うち地元生振の生徒は2名のみ)。
・昭和56年 火事の後新築された現在の生振小学校校舎
特認校(石狩市在住ならどこからでも入学できる)に指定されている。グラウンドは非常に水はけ良く作られている。
◇市職員時代の話し
・旧石狩町役場庁舎
前川さんが入庁(昭和47年)後だんだん職員も増えて、本庁舎だけではすべての部署を収容できず、いくつか支分所ができ前川さんも石狩中学校や消防署に居たことがあった。
・昭和47年 石狩河口橋開通。
河口橋と渡船場(混雑時)の様子。
・昭和47年 スカンディナビア館の移設。
内外緑地(株)が大阪万博のパビリオンを譲り受けて石狩に移設した。
前川さんも入館したことがあり、北欧女性がサービス係を勤めて華やかだった。
また、近くにボーリング場もあり前川さんも仲間と行って楽しんだ。
・職員の親睦
・昭和56年の大水害
完成間近(昭和57年完成)の石狩放水路を緊急通水して大被害を免れた。
・昭和57年 石狩湾新港第1船入港
市職員も総動員で歓迎した。
前川さんも船(船内は外国域となる)に乗り込むことができた。
・昭和58年生振農協婦人クラブ
昭和の時代まで生振には多くの人が住んでいた。
・スポーツ広場(ソフトボールのまち)
昭和64年国体のソフトボール大会のために造成。
1会場で8面の競技場が取れる(全国でも珍しい)こと、水はけが良い(雨が止んだらすぐに使える)ことの2条件をクリアするものだった。
・青葉公園(都市計画されている運動公園)
石狩では運動公園は青葉公園のみ。
運動公園の条件は、野球場、テニスコート、陸上競技場が揃っている事。
2種類のテニスコートはそれぞれ特徴がある。
石狩ではここだけに400mトラックの陸上競技場がある。
・花川南公園(昭和58年)
道の要請で石狩では初めての調整池を設置。グラウンドを調整池とした。
※生振小学校以後のグラウンドはすべて水はけよく作ってあると思われる。
・明乳牛公園(樽川まきば公園)
後背に調整池(団地造成の条件)を持つ。
・南花畔通沿排水路
花川北団地造成のための排水路。手稲線にもある。
・石狩と俳句
明治期、石狩では俳句が盛んだったことを前川さんの父道寛さん達が明らかにした。
・平成5年 石狩町役場新庁舎完成
・平成5年 愛知団体開拓百年記念碑建立
記念碑の揮ごうは、愛知団体の子孫で日本電信電話(株)の児島仁社長。
・平成8年9月1日 石狩市制施行記念事業
市民パーティー&記念パレードが行われ、前川さんは中国のお客を接待。
・生振の自然
岩鉄は、生振ではあちこちで出る。
・一等三角点
測量の基準。生振寺のそばにある。
また、前川さんは東京へ行った時、日本の水準原点の建物を観察した。
この後、教育改革、家督相続廃止、農地解放、宗教の自由など、戦後の一連の改革についての解説がありました。
◇市街化調整区域と農業振興区域の指定及びこれからの生振の課題
・市街化調整区域指定により、一次産業従事者以外の建物は建てられず、一番近いコンビニ、バス停、郵便局、交番は札幌市(茨戸)で、生振には一軒もない。
生振全域が市街化調整区域と云う規制がくらしの不便さをもたらし、人が住めなくなっている。
・農業振興といっても、水田と畑などが混在している状態で不合理。本格的排水施設もない。
さらに、米作を推奨するのか、畑作を推奨するのかの方針が示されていないようだ。
近年は、生振に住まず花畔など他地区から通って営農する例も増えている。
・改めて、生振の土地利用について考える必要があるのではないか。
・従来市は地元が地元をまとめて、市と土地利用計画を協議することを期待していたように思えるが、今は人口も減り(約300人)活力がなくなっているので生振側から提案することは難しく、市がリーダーシップを発揮することが特に必要だと思われる。
・さらに、茨戸川をなんとか活用する方法はないか。洪水対策上は今の川幅を半分に縮小しても問題ないと考えている。
以上が本日のお話です。
昭和40年代以降の石狩の出来事についてのお話も興味深いものでしたが、前川さんの生振に対する熱い想いとこれからの生振への強い危惧が特に印象に残りました。
最後に受講者のコメントをご紹介します。
「やはり町の歴史を聞くのは楽しい。50年経た規制がある状況の生振は、過疎が進む一方であり、今行政的見直しをしなければ、魅力あるまちにはならないであろう」
「生振住民として心配になりました」
「生振の歴史に残る貴重なお話を頂き有りがとうございました。前ご住職が集められたお宝を拝見させていただきます。春光寺の益々の発展をお祈りしております」
「講師の声があまり良く聞き取れなかった。今後の生振をどうするか市民一人一人が考えなければならないのでは」
「生振地区の排水を考えるとどう土地を活用するか、難しい問題である。茨戸川の埋め立てか」