5月25日(木)、主催講座2「石狩川治水の歴史」の第3回「事績の残る茨戸川周辺を巡る」(バス巡回見学学習)を開催しました。現地を案内して頂いた講師は、石狩川治水遺産研究会事務局長の安田秀司さん、受講者は35名でした。
最初に図書館裏の単床ブロック説明板と花畔・銭函間運河跡碑を見学した後バスに乗り巡回しました。
1.コンクリート単床ブロック説明板 平成8(1996)年建立
石狩川治水の基本となる計画洪水流量を算出し「石狩川治水計画調査報文」をまとめた岡崎文吉は、石狩川治水事務所の初代所長に就き、川のわん曲部の河道の決壊を防ぐ、通称「ヨーカンブロック(岡崎式単床ブロック)」と呼ばれる「コンクリート単床ブロック」を開発、これを用いた画期的な護岸施工を推進した。「コンクリート単床ブロック」は、年次的に変化するが厚さ8.5~15.2㎝、幅15.2㎝、長さ59.1~90.9㎝のブロックに2個の穴をあけ、上下に隣接するブロックは穴の位置をずらして鉄線を通して組み立てるため全く縫目なしの1枚のコンクリート板として敷設することができる。単床ブロックは①比較的安価②耐久性がある③河底の変動に対応できる屈撓性がある④急傾斜での安定性を持つ⑤表面の平滑さにより流れに対する抵抗性が小さい⑥施工が簡単など多くの利点を持つ。茨戸川の護岸に施工されたほか生振捷水路の大規模改修や本州河川、中国遼河、アメリカ・ミシシッピー川など広く普及した。
かってこの地には単床ブロックの生産工場があった。
また、単床ブロック説明板が立つ足元には単床ブロックが敷設されている。
2.花畔・銭函間運河跡碑 平成8(1996)年建立
「花畔・銭函間運河」は「札幌・茨戸間運河(創成川)」(両運河は岡崎文吉設計で明治30年竣工)と併せて札幌と銭函を舟運で結ぶルートであった。
説明版と運河跡碑を見学した後、運河跡を観察。
3.ふれあい護岸 車中より観察
図書館裏から東へ約1.7㎞までの茨戸川河岸は、札幌河川事務所により親水緑地護岸として管理されている。また、このあたりは、単床ブロックが最初に敷設された場所でもある。
4.観音橋付近の単床ブロック 締切堤防川岸に敷設された単床ブロックを観察。
昭和6年の生振捷水路完成後、茨戸川への伏古川、創成川、発寒川などからの逆流防止のため旧本川に締切堤防(500m)が築かれ7mほどの狭い水路には橋(観音橋)が架けられた。
締切堤防の両側と橋付近の川岸は単床ブロックが敷設されている。
5.石狩川護岸工事起点碑 平成4(1992)年建立
大正5年着工の護岸工事起点碑を復元したもので、原標柱は台座に埋め込まれ透明カバーがかけられて見ることが出来るようになっている。
また、起点碑と対をなす終点碑は時間の関係で今回見学しませんでした。
6.茨戸川護岸ブロック
堤防なかほどで単床ブロックを観察。
また、ここから眺める手稲山を含む景観は絶景でした。
7.札幌大橋からの生振捷水路観察(車中)
※当別のロイズタウン駅でトイレ休憩。
8.石狩川堤防から生振捷水路、当別捷水路を観察(車中)
9.美登位排水機場(車中)
内水氾濫(大雨などで排水が追い付かず土地や建物が浸水する現象)が起きそうなときに、川に強制的に水を押し出すための施設。
※捷水路掘削工事の概要について車中で説明がありました。
陸上は掘削機エキスカベータ、水中はポンプ式浚渫(しゅんせつ)船という、いずれも最新の大型機械が投入された。大型機械が導入出来るようになった背景には、第1次世界大戦による日本の経済好況があった。
10.捷水路工事の幻の労働者街
かって治水工事市街地があった場所(今は何も残っていない)を確認。
石狩市郷土研究会 吉野惣栄氏作成の生振治水工事市街地図(いしかり暦 第2号より転載)
11.石狩川治水発祥之碑、殉職碑、土木学会選奨土木遺産・石狩川 生振捷水路案内板
・石狩川治水発祥之碑―大正7年の生振捷水路着工を記念した碑。
※安田さんの考えでは単床ブロックの誕生こそ石狩治水の発祥ではないかとのこと。
・殉職碑―石狩川振興財団発行の「石狩川の碑」によると大正14年では死者3名、負傷者41名となっている。
・土木学会選奨土木遺産・石狩川 生振捷水路案内板―生振捷水路銘板は「石狩市民図書館」に展示。
12.マクンベツ川沿いの締切堤防(道道508号線、車中より観察)
13.志美運河(運河水門、車中観察)
茨戸川の内水を排除するために昭和9年に作られた。運河水門は通常開けられているが、茨戸川の水位が高くなると閉められる。
14.川の博物館(石狩地区地域防災施設)
川の博物館は川のはたらきや石狩川の治水の歴史についての資料を数多く展示し、楽しみながら川や防災の学習ができる。また、災害時には地域の防災拠点として活用される。
・川の博物館の機能について―説明:河川事務所三浦さん。
放水路水門と運河水門を管理している。通常は、運河水門を開け、放水路水門は閉じているが、茨戸川の水位が高くなると運河水門を閉じ水位のあがった茨戸川の水を放水路水門を開けて海に流す。放水路水門を開けなければならないような状況になるのは、年間で1回くらいだそうです。
・岡崎文吉関係資料展示―説明:安田講師。
岡崎の捷水路についての考え方や人となり、札幌を離れた後の活動についての解説がありました。
最後に、放水路の水門を車中から観察して帰路につきました。
お天気も良く、受講者から講師の安田さんのお話が非常にわかりやすったとのコメントがたくさん寄せられ、有意義に楽しく学ぶ事ができた半日でした。安田さん、ありがとうございました。
最後に受講者のコメントをご紹介します。
「すばらしい講座でした。大変わかりやすい解説。充実した見学ヵ所、3回シリーズの治水の歴史のしめくくりにふさわしい半日でした。スタッフの皆様に感謝!」
「今日の講座で石狩川にある諸施設の概要が良くわかりました。特に岡崎氏の蛇行河川をショートカットし水位の低下による農業地盤の改良等水害のみならず100年前にこのようなこう大な水処理大計画を企画した岡崎博士に敬意を表したいと思います。まご達にも今後伝えていきたいと思います。安田さん、ありがとう」
「講座全体を通して勉強になりました。見学会は解説も含めて良かったです」
「大変明解な説明、ありがとうございました。石狩川の治水の歴史をよく理解できました」
「明確な説明でとてもよかった。石狩の歴史、大きな川があっても洪水にならず、皆様の努力の賜物と感心しています」
「何度もこの茨戸のあたりは通っておりましたが、全体像が分からずあいまいなままでした。今日の講座で実見し、つながりました。説明の方も上手でよかったです。ありがとうございました」
「説明がわかりやすく、時間配分も良かった」
「花粉が気になりましたが、晴天で水面もおだやかで見やすく勉強になりました。普段なにげなく通る道や橋の下・脇が今も石狩を守ってくれている世界に名を轟かせているのを知り誉ですね。北大卒業生はすばらしい」