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主催講座8「石狩歴史散歩」第2回「浜益の歴史遺産巡り」

2023/09/05

 9月2日(土)、主催講座8「石狩歴史散歩」の第2回「浜益の歴史遺産巡り」を開催しました。講師は石狩市郷土研究会事務局次長の安田秀司さん、受講者は27名でした。
 浜益地区で巡ったのは、車中説明が10カ所、バスを降りて見学したのが11カ所の21カ所でした。
 濃昼に着くまでの車中で石狩市と北海道の国定公園についての説明がありました。
◇石狩市
・旧石狩市は、平成17年に厚田村、浜益村と合併し面積は6倍、海岸線の長さも約70㎞になった。しかし、厚田区と浜益区は、併せて84%の面積を占めているのに人口比は5%である。
・石狩市と接している市町村は、北から増毛町、新十津川町(あまり知られていない)、当別町、札幌市、小樽市の5つ。
・石狩市の変遷
明治初期~本町、八幡町など10町と、花畔村、樽川村、生振村の10町3村。
1902(明治35)年~石狩町と花川村の1町Ⅰ村。
1907(明治40)年~石狩町の1町。
1996(平成8)年~石狩市の1市。
2005(平成17)年、厚田村、浜益村と合併。
・石狩の名勝地
 昭和25年に石狩支庁が発行した「石狩の産業」の中で挙げられている石狩管内の名勝地8カ所のうち現石狩市域にある名勝地は4カ所あって昔から石狩市の名勝地は知名度が高かったことが分かる。
◇北海道の自然公園
 北海道には国定公園が6つ、国立公園が6つある。このうち令和3年に道内6番目の国定公園となった「厚岸霧多布昆布森国定公園」は地域住民の熱意ある粘り強い運動によって指定を得たものだが、暑寒別天売焼尻国定公園は、公園域を示す看板も少なく、自治体、地域住民ともに国定公園の認識が薄い。地元の認識度向上と外へ向かっての知名度向上の努力が必要だと思われる。

 以上が車中での説明ですが、濃昼へ到着してからの現地巡回の様子は以下の通りです。

1.濃昼漁港(石狩遺産10号)
濃昼は濃昼川を挟んで厚田区と浜益区が接している。
◇ハイアロクラスタイトの露頭
 漁港北側の崖には、「安瀬集塊岩層」と呼ばれる典型的なハイアロクラスタイト(水冷破砕岩)があり、露頭の中央付近には約10m弱の安山岩の岩脈が挟まっている。このハイアロクラスタイトは、710~950万年前に形成されたもの。
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◇安山岩岩脈
 濃昼の南側には、安山岩の岩脈が分布(赤岩)、黄金山の貫入岩脈と共通している。
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◇濃昼漁港
 濃昼漁港は、ハイアロクラスタイトの岩で冬の厳しい北西風が遮られ、天然の良港であった。
現在私たちが立っている場所は、漁港整備により埋め立てられた所で、昔の写真を見ると岩の下に番屋(木村番屋)が建てられている。
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2.濃昼木村番屋
・平成8(1996)年まで木村家の住居として利用されていた。平成11年にすし職人菅原氏が建物を買い取り「濃昼茶屋」を営むも10年ほどで閉鎖。その後建物は人手に渡り保守作業なく放置されて老朽化が進んだ。平成26年から札幌の坂井氏ら有志が私費を投じ補修をしていたが、令和3年にその活動も停止し、老朽化がさらに進んでいる。
・木村家は、元々群別と幌の間にある室蘭沢の漁場を本拠地としていた。
【外観の特徴】
 尖塔付き八角洋風張り出し(アーチ形欄間付き両開き窓)。練瓦床。漆喰壁。むくり屋根の純和風玄関(彫刻付)。母屋正面窓はすべてアーチ窓。反り返る軒天。周囲には石積みの排水路が巡らせてある。
【濃昼番屋サポートの会の推論】
 明治期に建設された海岸部の建物群は、昭和7年の濃昼大火で焼失。その後親方棟を新築した後漁夫住居(番屋)を焼け残った材を用いて建てたと推定される。建築年は、昭和7年。また、当初の図面には、八角張り出し部分と玄関のむくり屋根は記載がなく、後付け建築だと思われる。
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3.尻苗橋、尻苗トンネル、木巻きトンネル(車中説明)
尻苗トンネルあたりの崖下には、かって尻苗と云う季節集落があり、今は橋の名前にのみ地名が残っている。木巻きトンネルの木巻きとは狼煙台のこと。
4.送毛海岸
 海に崖が迫る絶景展望が楽しめる数少ない国定公園エリア。かっては鰊漁建網4ケ統の漁場で番屋などが立ち並び、100人以上のヤン衆が集まっていた。また、バシクルモンと云う希少植物も生育する。
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5.千本ナラ(国定公園)
・送毛山道は、幕府が場所請負人・伊達林右衛門へ開削を申し付けたものだが、林右衛門はそれを送毛番屋番人の茂吉に命じ、茂吉は岩内の出稼人善蔵に請け負わせた。安政4(1857)年に全1里19町(4.2 ㎞)が完成。松浦武四郎は三山道では一番と言っている。
 送毛山道の頂上付近にある、国定公園表記の看板がある数少ないスポットの「千本ナラ」は、新日本名木100選にも選ばれている推定樹齢800年のミズナラの木。かっては3本あったが、今は1本のみ。日本海から吹き上げる強い風のため、枝が多数に分かれて空に向かって伸びている姿が千手観音に見えることからその名で呼ばれる。いつ頃からか「しゃもじ」(浜益温泉で販売)を幹に差してご利益を祈るようになった。
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6.毘砂別冷水波切不動尊(車中見学)
 元々この場所は、湧き水の得られる貴重な場所で、アイヌにも神聖な場所だったようだ。明治30年頃、逓送(郵便配達夫)の茸平が安全祈願の祠を建てた。祀られている不動尊は長い年月野ざらしだったものを祠に祀った。お堂は、昨年再建された。
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7.毘砂別展望台(車中見学)
 10年ほど前から老朽化の為立ち入り禁止となっているが、トイレだけは管理されている。
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8.田んぼの中の黄金山展望地(車中見学)
 黄金色の田んぼの向こうに優美な黄金山の姿が見える。
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9.田んぼの中の摺鉢山展望地(車中見学)
 幕府に蝦夷地の警備を命じられた東北6藩のうち荘内藩は警備だけにとどまらず砦としての陣屋を築くほか村を作り永住の覚悟で食料確保のための農耕を行った。元治元(1864)年には米作にも成功した(199俵、但し稲作の成功はこの年だけ)。
※道央の稲作成功例は、安政4(1857)年、早山清太郎による琴似での実績がある。玄米7升が献上された。寒地稲作の父と云われる中山久蔵の成功は、明治6(1873)年のこと。
※摺鉢山の画像には光線の加減でバスの内部が写りこんでいますが、ご容赦下さい。
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10.柏木稲荷神社
 文久2(1862)年、荘内藩陣屋内の八幡神社の末社として創建。また、アイヌの代表的ユーカラである「虎杖丸の曲」中の英雄ポイヤウンペが育った場所とする説がある。社殿脇の広場ではアイヌの儀式が行われており、イナウが残されている。
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■昼食(摺鉢山会館)
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11.実田中央橋、浜益温泉駐車公園(車中見学)
 鮭の遡上時期は橋から多くの鮭が観察できる。上流1㎞の所に二次飼育施設があり、京極から運ばれた稚魚を1週間ほど川の水で育てた後、放流する。
12.黄金山の林道入口
 黄金山は、国指定の名勝。国定公園(公園指定範囲図を見ると黄金山一帯だけ飛び出て指定されていることから国定公園の重要な構成要素であることが分かる)でもある。標高740m。約500万年前の岩脈が地下からせり上がった後周りが風化浸食されて出来た。登山口への途中、推定樹齢1500年のイチイの巨木がある。
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◇名勝ピリカノカ
 英雄叙事詩ユーカラやアイヌ伝承舞台、祈りの場、アイヌ語により命名された独特の地形から成る優秀な風致景観を、ピリカノカ(美しい・形)として保護する取り組み。平成21年度以降、順次指定(国指定文化財)されている。現在黄金山を含む10件を指定。
13.御料地からの黄金山
 御料地から見た黄金山は、林道入口辺りから眺める姿よりほっそりして見える。ここからの黄金山の姿をマッターホルンと呼ぶ人もいる。
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14.弁財渕、千両堀、川下八幡神社(車中見学)(国指定史跡ハママシケ陣屋跡、車中説明、石狩遺産9号)
 浜益川はかって今より流量が豊かで流路も違っており弁財船が弁財渕と呼ばれる所まで入ることができたと言われている。
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◇国指定史跡ハママシケ陣屋跡
 ハママシケ陣屋跡は、昭和63(1988)年、国の史跡に指定された。石狩遺産では、その関連遺産群を12項目にわたり構成資産としている。
15.本間漁場番屋跡
・荘内藩の漁場経営改革により場所請負人が伊達林右衛門から中川屋(本間家)に代わる。
・本間漁場番屋は、現在の「きらり」の位置(埋立地)から国道231号線寄りにあったと推定される。
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16.はまます郷土資料館(旧白鳥番屋、日本遺産、石狩遺産11号)
◇旧白鳥番屋
 明治32(1899)年、小樽の大網元白鳥永作の親類の白鳥浅吉が建設。木造平屋で、中央の入り口をはさんで左右に漁夫の居住区と親方の住居が配置される典型的なニシン番屋建築。白鳥漁場は、早くから荷揚げに電動ウインチを導入するなど設備の充実から浜益随一と云われた。昭和8(1933)年の合同漁業会社設立により、所有者となった同社の事務所として使われた。同社解散後は、一時荒廃していたが、昭和46(1971)年、開村百年を記念して修復され郷土資料館となった。昭和56(1981)年、浜益村指定文化財(現在は石狩市指定文化財)に指定、平成17(2005)年には「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選ばれ、現在は、はまます郷土資料館となっている。また、安田さんは、船頭さんだった上野満と云う方が歌っている作業歌の録音を聞かせてくれました。
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◇はまます郷土資料館
 係の方の説明を聞きながら、鰊漁のことを詳しく学びましたが、受講者のみなさんは、漁の仕方などを熱心に質問していました。
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17.群別集落(車中説明)
 二階桟敷席を持つ芝居小屋風の自治会館がある。
18.室蘭沢(車中説明)
 室蘭沢には、木村家が本拠地としていた漁場があった。
19.幌稲荷神社
 明治18(1885)年、三上勝太郎らにより創建。厚田神社と同じように眼下に幌の街が見え、メイン道路が一直線に伸びている。また、やや左方の山上には、幌灯台が見える。
※神社は高台にあって、急な階段を登ったみなさんは、神社の石段に座り込んでしまいました。
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20.幌灯台
 地上25m(塔高、道内4位)。海面から61m(灯火標高)。外見は、白地に赤横帯2本。
※外観は石狩灯台とよく似ているが、幌灯台は、コンクリート造の表面にタイルが貼り付けてある。この近辺の灯台は元々雄冬岬にあったが、江戸時代から西蝦夷三険岬のひとつに数えられた雄冬岬は資材運搬もままならず、昭和61年に廃灯。代わって昭和61(1986)年に幌灯台が初点灯(建物の完工は1か月半後)した。
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21.増毛山道入口
 幌稲荷神社に向かって右側奥に「増毛山道」の入り口がある。浜益から増毛までの海岸は急峻な断崖が続く交通の難所であったが、ロシアの南下を危惧する幕府にとって宗谷方面への陸路の確保が急務であった。そこで、安政4(1857)年に増毛の漁場請負の伊達林右衛門に命じ増毛山道を開削させた。費用は1311両(現在の金額で1億7000千万円ほど)。山道は、増毛山地の浜益御殿を経て増毛町別苅と浜益区幌を結ぶ全長27㎞。本線から分岐して岩尾に抜ける道もある。松浦武四郎は、蝦夷地第一の出来栄えと評し、山道中に宿を設置することを命じている。
 昭和20年頃まで使われていたが、国道の整備とともに交通量も減り、やがて使われなくなった。平成21年頃から地元の有志らが笹刈りを開始、平成28(2016)年に増毛・浜益間が開通して全線復元が完了した。平成30(2018)年、「増毛山道と濃昼山道」が北海道遺産に選定された。一般公開はされていないが、幌神社から林道交差地点までの2㎞だけは解放されている。
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 本日の見学巡回はこれで終了して、帰路につきました。
 どこまでもサービス精神旺盛な安田さんは、帰りの車中でも、木村番屋内部と黄金山登山の様子を写した写真を見せて説明されました。
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 2回目の浜益地区も豊富な資料をもとに軽快な語り口で案内していただいた安田さんに受講者一同、万雷の拍手をもって報いました。安田さん、ありがとうございました。
 最後に受講者から寄せられたコメントをいくつかご紹介します。
「今日、初参加でしたが、大変有意義な機会となりました。コースの選定や資料、そして安田講師の熱のこもったユニークな説明、どれをとっても非常にレベルが高く、観光案内として有料で行っても参加者はそれなりに満足度の得られる時間になると思いました。またよろしくお願いします」
「はまます郷土資料館ジオラマは非常に見ごたえがありました。ニシン漁場の風景や番屋の様子を忠実に再現した大作だ。地域の歴史や文化を子供達に分かりやすく伝える教材です。安田秀司さんの資料も詳細に作成して頂き又説明もユーモアをまじえとても分かり易かったです」
「安田さんの的確で分かりやすい説明、とてもすばらしかったです。カラーの説明もとても見やすくまた後日読みなおしたいと思っています。楽しい1日、ありがとうございました。また、来年も楽しみにしています」
「今まで何気なく見てきたものが、8/26と今回説明を聞くことにより更に歴史に興味を持つことが出来、非常に勉強になりました。説明員の安田さんが作成された資料と解説には感服いたしました。次回ももしよいのであれば参加させていただきたいと思います。ありがとうございました」
「充実した一日、大変有意義な講座、ありがとうございました。すべて興味深々、ワクワクしながら解説を聞いていました。素晴らしい歴史散歩でした。ご苦労様でした」













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