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主催講座8「韓国滞在16年の教授が語る素顔の『韓国』」第1回「大韓民国が歩んできた道」

2024/08/31

 令和6年8月20日(火)主催講座8「韓国滞在16年の教授が語る素顔の『韓国』」の第1回「大韓民国が歩んできた道」を石狩市花川北コミュニティーセンターで行いました。今回の講師は北海商科大学教授の水野俊平さんで、受講者は45名でした。
 水野さんは北海道生まれ、天理大学外国語学部朝鮮学科を卒業した後朝鮮に留学され、国立全南大学校大学院国語国文学科で博士課程を修了、同大学などで教鞭を取られました。20年振りに北海道に戻り、現在は北海商科大学で教授として研究教育にあたっておられます。専門は韓国語学です。以上のような自己紹介をされて講座を始められました。
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 以下にお話の概要を記します。
1.大韓民国の大統領
・大韓民国には今まで以下に示すように13人の大統領がいる。李承晩(イ・スンマン)は3回、朴正煕(パク・チョンヒ)は5回、全斗煥(ゼン・トカン)は2回大統領になっているので歴代では20代の大統領がいたことになる。現在は20代目で尹錫悦(ユン・ソンニョル)が大統領である。
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・最も好感を感じる大統領は、第1位が朴正煕、2位が盧武鉉(ノ・ムヒョン)、第3位が文在寅(ムン・ジェイン)である(2021年11月10日18歳以上500人の調査)。また、最も高い業績を残した大統領としては第1位が朴正煕、2位が金大中(キム・デジュン)、第3位が文在寅(ムン・ジェイン)があげられている(上記調査)。

2.憲法改正
・日本では憲法は変わってないが、韓国では大きな改憲が6回、小さい改憲が3回の合計9回の憲法改正が行われている。
・大統領は政権を維持・延長するために、改憲をするか、改憲を拒否するかをよく行っている。例えば、李承晩は4回大統領選挙で選ばれたが、その度に改憲を繰り返した。また、政権を維持するために政敵を除去することなども行われた(以下の図)。
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3.政権崩壊
・若者の死や大都市での騒擾・デモなどが政権崩壊の引き金になってきた場合が多い。例えば、1960年3月15日に高校生が死亡し、政権退陣デモなども起こって同年4月に李承晩大統領は辞任しアメリカに亡命した。また、1979年8月11日に若者・金敬淑が死亡し、釜山での政権退陣デモなどが起こり、1979年10月26日に朴正煕大統領は中央情報部長・金載圭によって酒の場で射殺され、朴政権は崩壊した。
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4.韓国の現代史〜大韓民国樹立まで
・1948年に大韓民国が建国されたが、それ以前の歴史も重要である。
・1945年8月6日広島に原爆が投下、さらに長崎への原爆投下やソ連の満洲・朝鮮・南樺太・千島への侵攻などが起こり、1945年8月14日には米ソが北緯38度線での分割占領に合意した。
・韓国は1945年9月6日に「朝鮮人民共和国」の建国を宣言した。しかし、実質的にはアメリカが3年間支配した。
・1945年10月に李承晩が米国から帰国、中国重慶からは金九ら「大韓民国臨時政府」の要人も帰国した。
・北側では、1945年9月1日に金日成(キム・イルソン)がソ連軍とともに帰国、同年10月10日に「朝鮮共産党北朝鮮分局」を結成した。
・1945年12月16日にモスクワで米・英・ソの「三国外相会談」が開催され、朝鮮に対する信託統治を決定した。韓国内では、35年間植民地として耐えてきたのにまた信託統治が行われるのかということで、反対運動が激化した。しかし、ソ連から帰国した左派はソ連の意向を受けて信託統治賛成にまわった。李承晩は南だけの単独政府を主張した。1947年11月14日には国連が「人口比率による総選挙」を決議した。
・1948年5月10日には南側だけで単独選挙が行われ国会議員が選出された。同年7月17日に国会で議決されて憲法が公布された。7月17日は今でも「憲法記念日」となっている。
・1948年8月15日に大韓民国が樹立され建国が宣言された。
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5.韓国の現代史〜朝鮮戦争
・1948年末にはソ連軍が朝鮮半島から撤退し、金日成は「国土の整完(全朝鮮半島の統一)」を主張した。一方、アメリカも朝鮮半島から撤退し、アメリカの国務長官アチソンは「アチソン・ライン」で台湾・朝鮮半島・インドシナ半島を除外することを主張し、これが朝鮮戦争の誘因となった。
・1950年5月30日李承晩政権の与党が選挙で惨敗し、1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発した。韓国は追い詰められて首都を釜山に移した。
・1950年9月にはアメリカが主体の国連軍がソウルを奪回したが、11月には中国義勇軍が参戦してソウルが陥落した。翌年3月には国連軍がソウルを再奪還した。
・1953年7月27日には板門店で休戦協定が締結された。李承晩は休戦を認めなかったため韓国は停戦委員会に加わらず、国連軍・北朝鮮軍・中国人民解放軍で休戦協定が結ばれた。
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6.韓国の現代史〜李承晩を中心とした第2共和国
・休戦協定に至る以前の1950年5月30日に、李承晩政権の与党である国民党が惨敗した。李承晩は大統領直接選挙制の改憲案を提出したが否決され、1952年5月25日に非常戒厳令を布告した。改憲で大統領直接選挙制となり、1952年8月5日の大統領選挙では李承晩が大勝した。
・1954年5月20日の選挙では李承晩の与党の共和党が大勝した。李承晩は三選改憲案を提出し否決されたが、小細工をして三選改憲案を可決させた。1956年5月15日の大統領選挙で李承晩は勝利したが、対立候補の曺奉岩(チョ・ボンアム)が善戦した。そこで1959年7月に曺奉岩を司法殺人という形で処刑した。
・1960年3月15日に80歳になった李承晩は四選を目指して大統領選挙に出馬した。その時に不正選挙が行われたとして市民が政権退陣のデモを起こし、高校生の金朱烈が死亡した。市民・学生デモに警察が発砲して149人の死者が出て、1960年4月26日には李承晩が辞任した。李承晩はその後アメリカに亡命してハワイで死亡した。
・1960年6月に改憲案が国会を通過し、新憲法が公布された。7月の総選挙ではかつての野党である民主党が圧勝した。

7.韓国の現代史〜朴正煕を中心とした第3〜4共和国
・尹潜善(ユン・ボソン)が1960年8月12日に大統領になったが、民主党の分裂や経済疲弊、労働・学生運動の激化などが起こった。1961年5月16日には韓国軍若手将校がクーデターを起こした。
・1962年3月22日に尹潜善大統領が辞任し、朴正煕が代行となった。
・1962年10月31日に大統領中心制(任期4年)に改憲され、翌年10月15日の大統領選挙で朴正煕が選出された。1965年6月22日には日韓基本条約が締結された。
・1967年5月3日の大統領選挙で朴正煕が尹潜善を破って大勝した。国会議員選挙でも与党・共和党が圧勝した。
・1969年9月14日に三選改憲案が国会を通過し、国民投票においても憲法改正案が承認された。1971年4月27日の大統領選挙で朴正煕が金大中に辛勝したが、国会議員選挙では野党の新民党が躍進した。
・1972年10月17日に「大統領特別宣言」が発表され憲法は停止、11月21日には新憲法が公布されて間接選挙で朴正煕が大統領に選出された(「維新体制」)。
・1973年8月8日に金大中が東京のホテル・グランド・パレスから拉致され、いわゆる「金大中氏拉致事件」が起こった。
・1979年8月11日にYH貿易事件が起こって若者・金敬淑が死亡した。釜山で政権退陣デモが起こって馬山にも拡大し、1979年10月26日には中央情報部長・金載圭が酒の場で朴正煕大統領を射殺して、朴政権は崩壊した。

8.韓国の現代史〜全斗煥を中心とする盧泰愚、金大中などの第5共和国
・1979年12月8日に崔圭夏(チェ・ギュハ)が間接選挙で大統領に選出されたが、12月12日には全斗煥が軍事クーデターを起こして実権を掌握した。緊急措置解除によって一時的な民主化が起こった(ソウルの春)。
・1980年5月には非常戒厳令が敷かれたり、光州で民主化運動が起こったが空挺部隊が鎮圧した。全斗煥は国家保衛非常対策委員会を設置した。
・1980年8月16日には崔圭夏大統領が辞任し、8月27日に全斗煥が大統領に就任した。10月には新憲法が公布されて大統領の任期は7年になった。
・1981年2月25日に間接選挙で全斗煥が大統領に選出され、総選挙でも勝利した。
・1985年1月18日には「新韓民主党」が結成され、国会議員選挙でも新韓民主党が躍進した。その後「民主統一民衆運動連合」や「全国学生総連合」などが結成され、労働者によるストライキが激しくなり、1986年6月にはソウル大の女子学生に対する性拷問事件、翌年1月にソウル大学生の拷問致死事件なども起こった。

9.韓国の現代史〜盧泰愚、金泳三、金大中などの第6共和国初期
・1987年6月10日に民正党は盧泰愚(ノ・テウ)を後継者に指名した。同年6月には180万人が参加する「国民平和大行進」があり、「6・29宣言」が発表され、10月27日には改憲国民投票で大統領選挙が直選制となった。
・1987年12月16日に大統領選挙が行われ与党の盧泰愚が当選し、1988年2月25日に大統領に就任した。ここで、初めて平和的な政権交代が実現した。
・1988年9月17日には第24回ソウルオリンピックが開催された。
・1991年9月17日にはソ連・中国・共産圏との国交を樹立し、南北が同時に国連に加盟した。
・1992年12月18日の大統領選挙では与党の金泳三(キム・ヨンサム)が当選して大統領に就任し、一挙に民主化が進んだ。1995年12月には5・28民主化運動などに関する件で全斗煥や盧泰愚が逮捕・収監された。
・1996年12月12日にOECD(経済改革協力機構)に加入したが、その後1997年にはアジア通貨危機が起こって韓国はIMF(国際通貨基金)に支援を要請した。物価上昇や企業倒産・リストラなども起こり、1997年12月19日の大統領選挙では金大中が人権を重視する「国民の政府」を訴えて当選し、大統領になった。
・2000年6月には南北首脳会談が開かれ、金大中はノーベル平和賞を受賞した。サッカーワールドカップの日韓共同開催などもあり、2002年12月19日には大統領選挙で盧武鉉(ノ・ムヒョン)が当選した。
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・最後に、最近5人の大統領を保守、進歩で分けると、李明博(イ・ミュンバク;17代)と朴槿恵(パク・クネ;18代)、尹錫悦(ユン・ソンニョル;20代)は保守派、盧武鉉(ノ・ムヒョン;16代)と文在寅(ムン・ジェイン;19代)は進歩派に分けられる。

 水野さんは、現代史を知ることは韓国ドラマを見たり、韓国人をよく理解する上で重要ですと結んで今回の講座は終了しました。

 最後に、受講者の感想や意見のいくつかを以下に紹介します。
「たくさんの内容でしたが、大変中身の濃い 90分でした。ありがとうございます」
「とても近い国なのに何も理解していなかったことに気がつきました。とても良かったです」
「『ソウルの春』の映画を見に行く予定です。1960年生まれなので韓国史を予習してから行こうと思っていたところでこの講座を知りました。圧倒されたというか、本当に激動の現代史だなあという感想です。水野先生、この内容を、この時間で伝えていただきありがとうございました」
「大変詳しい資料と丁寧な説明で、わかりやすかった。次回も楽しみです。韓国の知識人の紹介をお願いしたい。特に文学者について」
「韓国民に対し、あまり良いイメージがありませんでしたが、今回の講座に参加させていただき過去の苦しみや無念さが少しわかった気がします。今後も引き続き受講させていただきたいと思います。ありがとうございました」
「全くと言うほど認識のない韓国について知る機会が持て良かったと感謝しています。さすが最適の講師 水野氏。聞きやすく、理解しやすい解説でした。まだまだ難しいと感じていますが3回シリーズは有意義で助かります。水野教授の韓国研究の経緯も興味深いです」
「大韓民国が歩んできた道をとても詳しく映像で説明していただき考察することができ感銘いたしました。いしかり市民カレッジ運営委員会の皆様いつもありがとうございます。この次の講座が楽しみです」
「従来より知りたかった講座でありがとうございました。わからないことばかりで詳しく分かりやすい説明に感謝します。今の日本の政治も憲法改正を訴える...何か過去の韓国の歴史と重なって 聞いてしまった。正しいのかどうかわからないが」




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